水上の花火
エッセイ
「水上の花火」
長岡花火が3年ぶりに再開された!
1945年8月1日の長岡空襲で焼土と化した長岡の復興を祈念して2日・3日の二日間に打ち上げられる。
二日間で2万発ともいわれる打ち上げ数にはすごい迫力がある。
近年ではこの花火を見るために二日間で100万人の観客を動員する一大イベントになったのであるから半端ではない。
越後新潟の三大花火と言えば
1. 長岡市の川の花火
2. 小千谷市片貝の山の花火
3. 柏崎市の海の花火
が有名である。
この時期はほとんど天候にも恵まれ花火日和になることは当たり前になっている。しかし、今年の花火は西から発達した線状降水帯で開催が危ぶまれた。何よりも傘をさしたりすれば後ろの人の鑑賞の邪魔になる。
雨合羽だけでは雨の侵入を防ぐことが心配である。
二日の日は曇り空で雨粒の心配はなかった。しかし三日の天気予報は80%以上の降雨を予想していた。しかも、豪雨であるらしい。
勿論各地では水害情報も届いているので、花火どころではないよ!と一喝されそうである。
打ち上げが始まる時は、この一時間半は天気が持ってほしいと思っていたが残念ながら、降り始めてしまった。昔から雨乞いに花火を上げる話は誰でも聞いたことがあるとおもうが。
今日は晴れてほしい!皆の願い。
ブルーシートを敷いたうえに座るのであるから降った雨の排水がうまくいかないと水浸しである。まるで「水上の花火」である。
聞こえは優雅であるが、実際は大変な思いで楽しむのである。
もろ手を挙げて楽しいというには、ちょっと負担が多く苦しくもある=まさに「たのくるしい」花火観戦でもであった。
「高田建築事務所と愉快な仲間たちが打ち上げる長岡花火」
ベスビアス超大型スターマイン」は天気も心配であるが、上がる直前まで鼓動が高まり、うまく上がってくれることを祈るのである。
打ち上げ前のアナウンスと同時にドキドキ感は最高潮に達する。時間にして1分弱!1分はあっと言う間の出来事でありながらも、花火の打ち上げ方にコンセプトを設えている。そしてそれを毎年繰り返している。
一瞬の時の間を地面から空に向かって、打ちあがる弊社の花火には物語がある。
弊社の巣舞(住まい)づくりの物語を花火の力でビジュアルに伝えようとしているからである。
・ まず、二か所から斜めに打ち上げられるトラの尾っぽの様なやり取りは、我家の巣舞づくりは我家だけの物語でもある。思いっきり「放題紙」に書きつけよう。放題は言いたい放題・思いたい放題・描きたい放題である。勝手に描くのであるから、家族の誰にも遠慮はいらない。まさに想いのパワー打ち上げ開始である。
・ 我家の家族一人一人が言いきってしまうと、たまっていた重い思いが解放される。まさに皆スマイルである。スマイル君花火である。
・ 次に、言い切った放題紙を形化するために具体的なスケッチがなされる。
・ そして、白銀の花火が、繰り返されると大きな白いキャンバスが出来上がる。
・ その上に我家だけの鮮やかな色が浮き上がるのである。千人鮮色である。
・ 最後の音花火は、完成した巣舞に住んで家族そろって喜びの拍手が重なるのである。一緒に巣舞づくりに挑戦してくれた設計・業者さんにも拍手・そして何よりも家族のみんなに!そして自分に!大きな拍手である。
こんなコンセプト・物語の高田花火を楽しんでいただけるとありがたい。
* 花火のコマを入れるとわかりやすいので当社のことを一言集約する花火:まさに一言集約花火のご紹介でもある。
・ 長岡で巣舞づくり・建築業を生業とする者にとって、長岡花火を打ち上げることが出来ることは誇りでもある。
・ 今年は観衆が28万人と聞いたが、コロナが晴れて従前の様に100万人超えの人々に祝福される花火を打ち上げ続けさせていただけたら望外の喜びでもある。
・ 何といっても長岡終戦の記念花火である。平和への祈りの花火である。
・ 「世界中の爆弾を花火に変えて打ち上げたら、世界から戦争がなくなるのにな」という山下清画伯の言葉は現代の私たちに強烈なメッセージとなってくれています。