「老人の居場所・居場所捜し」 (株)高田建築事務所 高田清太郎
エッセイ
2002年11月投稿 福祉施設設計実績例
老人のことについて書きなさい!と言う依頼を受けたのが数年前。「人間の居場所づくり」は職業柄、避けて通れない私ではあったが「老人の居場所」と なると書く事に大きな躊躇が伴った。正直なところ何を?どこから?書いて良いか皆目見当がつかなかったからである。それくらい大きなジャンルであった。半 分は後悔しつつ、半分はいつか正面から取り組まなければならないと言う脅迫概念に押し出されて、不遜にも承諾してしまった。紙面汚しをお許し頂きたい。 又、文書構成も支離滅裂であることをあらかじめ申し添えておきたい。今年、還暦の私(精神年令は30才代の感覚です!これ本当です?)が老人と言う言葉に いささか動揺している事をそのままの文章で書かさせていただければ幸いである。
「少子高齢化」なるキーワードは、現在の社会環境においては時代と共に益々不動のものになってきて、この事が全ての分野に大なり小なり影響を与え続けることには変わりない。そこで“高齢化”この言葉を聞いた瞬間に脳裏に浮かぶイメージを羅列すると!
Ⅰ:スフィンクスのなぞかけ/支え合う居場所づくり/意識は「老人」から「豊人」へ!
Ⅱ:老人と海/ヘミングウェー
Ⅲ:楢山節考・姥捨て山と施設充実。そして地域密着型のソフトとハード
Ⅳ:孫は子より可愛い。
Ⅴ:独特のユダヤ人の人生観
Ⅵ:探し物は何ですか?:居場所探し!の旅
Ⅶ:人生が2度あれば!井上揚水の世界
Ⅷ:自分の顔に責任持て。額に刻み込まれたしわが語るもの。/そのまま老人になる。
Ⅸ:おばあちゃんの漬物の秘伝はもうお済ですか。伝えたい知識
Ⅹ:お役立ちになりたい生甲斐の居場所
……・と、何の整合性も無く思い浮かぶままに項目を書いてみた。
そもそも私の職業は建築設計・建設関係である。一口に建築と言ってもその内容は“住宅から始まって各種一般建築・まちづくりまで”多岐にわたり様々であ る。近年ではこの老人の居場所問題に直接絡む医療・福祉関係の仕事の分野も時代のニーズと平行して多く手がけさせていただいている。新しい分野に取り組む たびに基本的な事から学ばなければならないのは、何も建築だけに限った事ではないが、建築設計者に要求される雑学は他の分野に勝るとも決して劣らないもの とも考えている。そして、設計者はその分野のことをちょっと勉強して多く分ったかのように勘違いしてしまうことも多々である。重ねるが、依頼の建築のため にコンセプトを作り提案をさせていただくものであるが、そのことを本当に一体どこまで知っているのか?と詰問されれば、はなはだ心もとない返事をせざるを 得ない。それでも、一度仕事が始まれば、自信を持って“この計画にはこれこれの建築コンセプトを添えさせていただきます”と図面提出と同時にしっかりと説 明を加えるところから始まるのである。説明するのであるから,自分自身も納得していなければならないし、当然の事であるが、依頼者から共感を得なければ成 らない。時にコンセプトを作り説明する自分自身が“何にも分っちゃいないんじゃないの?と直球に不安感が襲う事もしばしばである。”これはかなり正常な感 覚だとも思うが、正常な感覚だと思えば思うほど仕事は前に進まない。
コンセプト・テーマづくりの手法の一つに“目に見える形と目に見えない想い”を上げる事が出来る。例えば、住まい作りのお話を頂いた時、必ずと言ってい いくらい『すまいは巣舞』と言う話からさせていただている。人間の生命を育む大切な居場所づくり。それが人間の住まいである。そして、“巣は形、舞いは想 い”と重ね合わせると何となく住まいの原点が見えてくるからである。目に見える形は目に見えない想いからつくり出されてくるからである。
あたり前の形、見なれた形、不思議な形。 この世の中にはさまざまな形が存在する。 住まいの形も大切な生命を育む家族一人一人の想いが現れる場所。規格・固定的なものではなく、他からの借り物でもないはず。 オーダーメイドされた衣服にその人の想いが 現れるのと同じように 巣舞にも、その人の想いやスタイル、サイズが 時に個性的な形になって現れて来るからである。 形のむこうにみえるもの・・・。 まず無形の想い(舞)こそ大切にしなければならないのは目に見えない「想いが形に!」なるからである。『想いは形の生命原点』と言っても過言ではない。一 人が特段の大声を発するのではなく、家族全員で我が家の想いを夫々に言いきると言う原点から初めたいものである。
“老人の居場所”を考える時もこの処方に追随することにした。
それでは一体、人は何を求めて生命の行程を歩いているのだろう?私の個人的結論から言いきってしまえば『居場所探しの旅』である!…と、仮定する事には いささかの躊躇するものではない。(少なくとも現在の私の心境)そして,この項目を探求する旅のキーワードは“目に見えるもの・目に見えないもの”という 副題規準を添えさせていただく。
目に見えるものは一時的であり、目に見えないものは永遠に続く!とも伝え聞くからである。
Ⅰ:スフィンクスのなぞかけ/ささえ合う居場所づくり:意識は“老人から豊人へ!”
古代エジプトやアッシリア等で支配者の象徴としての人面獅身の石造はピラミッドを守る狛犬(こまいぬ)役を果たしていたような配置で ある。又,ギリシャ神話では女面獅身の怪物であった。何でも通り行く人達になぞをかけるのだ.そしてそのなぞが解け無い時には殺してしまうと言う少々危険 な物語である。
そのなぞかけは“朝は4本足で歩き、昼には2本足で歩く、そして夕方には3本足で歩く動物は、なーに?”であった。
答えは人間!生まれた赤ちゃんの動き始めは4本の手足で這い回る。そして、2本足で歩くまでに約一年ほどかかることになる。やがて成人し長い間直立2足 で生活をすることになる。更に年が行って足腰が弱り、杖を持って腰を曲げて歩くようになる。3本足の動物の完成である。人間を表現するにはとても面白い表 現でもある。
もし老人をシルエットで描くように言われたら,あなたならどのように表現しますか?きっと多くの人達は腰を曲げている姿を描く事でしょう。しかし腰が曲 がっていてもそれだけでは老人を示さない。影絵のシルエットだから色彩は無い。白髪も無い。しわも見えない。しかし,徹底的に老人をシルエット上に置くた めには曲がった腰と“一本の杖”が必要になる。このナゾかけは一見、単純のように見えるが最近あらためて考えてみると実は奥が深いナゾかけである事に気が つかされる。実は目に見える杖だけではなく,目に見えないもう一本の杖こそ気にかかるからである。文字通り目に見える一本の杖は身体を支えるための弱った 足腰の補助具である。それではもう一本の目に見えない杖とは?むしろ象徴として捉える方が良いのでは?と気付かせるからである。そして、その杖とはその人 が長年かけて培ってきた生き様・思想・哲学・ライフスタイルから醸し出す品格まで幅広い意味を持つ。人たちは長い間その土地の自然と共生しながら生命を維 持するために作物を作リ狩猟をして来た。雨露や暑さ寒さ、そして外敵から身を守るためにすまい小屋や家を作ってきた。竪穴式住居・高床式住居の遺跡はたく さん残っている。4本足の動物は2本足で立つことによって知恵のフル回転を自然的に発揮してきたのである。知恵は人間の生命維持と子孫への伝承を促し、知 恵のふくらみはその人間の数ほどに存在した。そして一人一人、格差は有るものの生き方にバラエティーを膨らませてきたのである。そのような意味での一本の 杖は同じではなく、夫々に固有な物だったのである。目に見えない杖こそスフィンクスのなぞ掛けに隠されているもう一つの答えなのである。同じ杖でも目に見 える杖であれば、借りて支える事は簡単に出来ても目に見えない杖は自分のものとして馴染み完全に機能するには、かなりの時間を要することは避けられない。 むしろ反対に、ある人にとって有用な杖も他の人では機能しなかったり、使いづらい事の方が多いのかもしれない。自分以外の杖だからと言って誰も否定できな い様々な杖が存在するのである。たとえば、その杖は私の価値基準とは違っており,私には容易に理解できないので間違っている。さー取り替えて下さいとは誰 も言えない杖と認識する方が自然である。当然な事であるが、同じ杖でも時間で変幻することは否めない。若い時の杖と年取ったときの杖ではおのずからその根 底に大きな溝がある。大切にしたい多くの価値基準を持つ杖。繰り返すが、身体を支える一本の杖のナゾかけは、同時に精神的に重く支えているもう一本の杖を シルエットの中に見ることこそ肝要な事である。長年かかって築き上げられた思想であり哲学でもある。正に貴重な歴史物語なのである。スフィンクスはきっと 目に見える杖ではなく,むしろ目に見えない杖を大切にする様にと教えてくれているのかもしれません。長旅を走り抜いて、生きてこられた方々に敬意を持って 受け入れるようにと!
この章の締めくくりとして、もう一つの見方を付加えさせていただければ,杖の存在はもともとサポートする“支えの機能”を持っているのである。『杖=支 える物!』と言い換えてみれば、杖は時代と共に様々な形に変幻していくのである。時代は下り今日では、社会環境における“支え合う居場所作り”が官民問わ ずに追求されているのはごくごく自然な流れと言って良いのである。「人」と言う字は如実にそのことを示唆している様に相互扶助でもある。一方が支えている ようであるが同時に支えられているのである。生きているようで実は生かされており。見える部分は見えない部分によって作られており。スフィインクスのナゾ 掛けの杖は正に『共生』している世の中の仕組みを教えてくれている。
三本足の動物それは“老人”でした。老いた身体を支える目に見える杖は“老人”を示唆するに十分です。(それゆえ老人と呼ばれるのです。)しかし同時 に,目に見えないもう一方の杖は知恵が詰まっており,又精神的にはかなりの豊かなものです。むしろ“老人”ではなく“豊人”と呼ぶにふさわしい事である。
今後は老人施設の名前も“老人OO施設”と呼ばないで“豊人OO施設”と命名される事を提案させて頂きたいと思う。新しいスフィンクスのナゾかけがすでに始まっているのである。
Ⅱ:老人と海/ヘミングウェー:
ヘミングウェーの“老人と海”は私にとってはとても懐かしいアメリカ文学の代表作でもある。又、多くの事を考えさせられる書でもあ る。キューバの老漁夫サンチャゴは漁に出る。長期間獲物は捕れない。ところが、餌も残り少なくなって来た時にかつて経験した事のない大きなカジキが引っか かる。船は沖へ沖へと引かれていく。時間はどんどん経過していく。やがて老漁夫はカジキと会話をし始める。“おまえの考えなど皆お見通しだ”当然の事なが ら実際には老漁夫の長年の経験からカジキの考えている事を察知し、読み取り、独り言(独白)をつぶやいているだけの事なのであるが。やがてカジキは力尽き 命絶える。巨大カジキと死闘を繰り返すこと4日間にも及ぶ。余りにも大きくて船に乗せることが出来なかった。しとめた巨大カジキは船体に横付けにされたて の帰還である。ところがこのカジキを狙って次から次へと襲うのがサメの群れである。カジキの死体に食いつくサメ達と格闘が始まるが、アッと言う間にぼろぼ ろに食いちぎられたカジキは骨の残骸だけになるまで食い尽くされてしまう。更に遠方まで来た魚夫にとって帰路につくのもそう簡単ではない。カンカン照りの 無風の状態が何日も何日も続く。漁夫にとってはこの無風状態が嵐に劣らないくらいに怖い事であった。逆風でも風さえ出ていれば進路は取れる。しかし無風で はいけない。それでも、やがて長い日数をかけて村に帰ってきた。村人達は船体にくくられている大きなカジキの残骨に目をくぎ付けにされる。何も語る必要は ないのである。独り言で語った老人の口には言葉はなかった。そばではかつて一緒に漁に出たことのある子供がジーッとその老人を見つめている。
漁夫(老人)は多くの経験を積んで長い旅をしてきた。途中で何度か挫折を味わいながらも到達の岸辺にやって来る。その原動力のエネルギーは無風ではなく 荒海であった。無風の状況はむしろ避けねばならない事だったのだろうか。語る必要のない刻み込まれたシワが雄弁に語ってくれている。
固有の言葉を使って独り言を言い始める。決して他者には伝える事の出来ない狭い狭い関係の空間が作った専門語であった。そしてその空間から出る事は死ぬ事よりも居心地の悪いものだったに違いない。
老人は自分の足跡を振り返る。そのサインは骨の残骸であるが,起こった出来事は誰もが聞かずとも察知することが出来るような強烈なものでもあった。
振りかえると,そこには歩んできた足跡が残されている。決して生身そのままの実態としてではなく。時間と共に風化していく,同時にその面影を半透明にお ぼろげに残すのである。そして,むしろ骨だけになった形は原形をはるかに超えた強烈なイメージを髣髴とさせるものでもあった。
“人の苦しみは他人は与らない。”と言われる。反対に“本当の楽しみ喜びにも他人は与リ知る事が出来ないものである。”とは正に箴言!心の奥深い領域には決して届かないうめきにも似ている。
人は自分という限られた心と小さな身体という船空間の中で一人専門用語を使って思考し行動しているのである。そして岸にたどり着く頃には無言の内に多くの人々に力の言葉を残し影響を与えて行くのである。
目に見えるのは老人のシワと残されたカジキの骨。そして、目には見えないが取り囲む人々は老人のシワと残された骨からどんなにか大きな魚・カジキと苦労しながら闘ったと言う事実を!目に見えないだけに教訓は尚一層大きい。
人は何時しか一人旅に出る。始まりの旅であり。又終わりの旅である。そして、続きの旅の始まりでもある。旅を運ぶ船は時に自己意識とは無関係に新しい景色を見せに連れて行ってくれるのであるから予想をはるかに超えた喜怒哀楽の旅でもある。
小さな船に乗る漁夫!人生をこれ以上に凝縮して見たてたシーンを他に見ることが出来ない。喜怒哀楽は正にその人・個人の心中深くに存在するからである。
Ⅲ:楢山節考・姥捨て山と施設充実。ソフトとハード
歴史上の悲しい出来事の一つに“口減らし”と言う言葉がある。家族が全員で食っていくにはそれだけの収穫がない、収入がない。そこで女子供が奉公に出される。それでも子沢山で生活はやっとである。
「一粒の麦落ちて死なずば一粒のままなり,されど落ちて死ぬれば豊に実を結ばん。」
私が楢山節考を考える時いつになくバイブルのこの言葉が繋がっていくのである。
楢山節考・その話のあらすじは:老人がある年齢(70歳)に達すると自分から神の山に行く事を覚悟する。衣食住は人間の営みにとって無くてはならないも のであり、とりわけ食の確保・獲得戦争は人類の歴史そのものと言って良い。与えられた土地での収穫量はほぼ決まっている。どれだけの量があれば、どれだけ の人の命をつなぐ事が出来るか?家の長は知っている。勿論、一方で人口制限は当然必要である。しかし,もう一方では「新しい生命の誕生」は拒絶できない。 種そのものの継続は自然の摂理でもあるからである。品種改造や技術開発で食の満足を提供できるまでには尚時間を要した。決まった食資源量の中での分配から 考えられることは“生まれてくるもの”と“去っていくもの”とのバランスである。そして,その村には暗黙のしきたりが厳然とあった。ある年令に達して、時 間が来たら神の山に出掛けていく。と!前の晩に,初めて足を踏み入れえる畏れ多い山・楢山まで実の母を背中におぶって届ける役(正確には置いてくる)の長 男に経験者である村の先輩達は母の用意した酒を飲みながら事細かに道順やその他の忠告を授けるのである。(そもそも儀式は日常の流れを変えるときに決まっ て設けられるものでもある。人々が今まで慣れ親しんだシステムや習慣を捨てさせ、新しい秩序や仕組みを決断させる時に痛みや急激な変化を和らげる手法であ る。苦痛からの開放の処方でもある。)70歳の母の決意は固い。決定は過去完了形である。子孫を残し生かすためにはどんな代償をも払う.そんな決意であ る。そして、自己を捨てる代償によってしか得られない“至福の喜び”へと飛翔しているのである。もはや死ではなく新しい生への喜びであり始まりの決意であ る。底知れぬ深いところでの喜びでもある。自分をおぶっていく倅にはその事を共感して欲しい。土台、無理な要求にかつて無い憐れを倅に感じるのである。前 振舞えは深夜まで及ぶ。聖なる夜である。決意揺るがない母。止められるなら止めたい!躊躇する倅。姥捨て山?に連れて行ってもらうことを願う母。連れて行 きたくない倅。避けられない事態と知りつつ。生そのものを嘆く感情を押さえられない。せめてその日には雪が降って欲しい。祝福は雪と共にやってくると言い 伝えられているから。(雪が降るとカラスや獣が一時隠れるらしい。また苦しまずに眠る様に死の床に付く事が出切るから?)いずれにせよ、連れて行かれた日 に雪が降ること。そのこと自体が神から祝福された事である。置いて行かれた老人が生きているうちに野の獣の餌食になったりすることなく、息引き取られた後 に自然的に腐れ、朽ち果て土に返れるからである。これは子孫維持と言う大前提に立った悲しい口減らしの行為であった。思い出すたびに身震いする壮絶な話し でもある。
人間の生命を維持する食物は絶対的に不足していた。人口の自然増加をストップできない時代でもあり、食料生産システムの不備の時代的背景でもあった。現 在でこそ飽食の日本と言われているが、つい一世代前の日本で起こっていた事実である。現在でも世界の2/3が飢餓に襲われているとも報告されているから時 間的には正に同次元の話でもある。
やがて時代は下り、楢山節にとってかわった老人を受け入れる施設は破断のものであったに違いない。それでも現在から見れば前近代的な施設に変わりはなく、その完成度においては形だけの不備のものも多かった。
少子高齢化時代の到来。2006年の人口1億2500万人をピーク2050年には1億人。2100年には5000万人。そして3300年には日本人は一 人になると警鐘を鳴らしている少子化日本である。それよりも卑近に起こる現象は“老人大国日本”である。10年もしないうちに人口の1/4が65歳以上に なる。超老人大国・日本。こんな時代到来を目前にしてゴールドプラン・新ゴールドプラン・そしてゴールドプラン21と施設の整備充実は国策の最重要テーマ である。より生命の尊厳を名実共にするためにも必要とされる施設郡である。
勿論老人と一口に言っても、老人の施設建築を設計するときに気を付ける事はいくつか有るのですが、その施設がどんな健康状態の高齢者が入所されるのかは 最重大課題である。その年齢にふさわしい状態は個々人によってかなりの差は否めない。年齢にふさわしい健康状態の人達なのか。病気がちの人達なのか。痴呆 症状がある人達なのか。寝たきりの人達なのか。中でも植物人間と限定された人達なのか。(私はその道の素人でありながら建築の立場から請求に、しかも浅薄 に分類してしまっているかも知れないが)
国の施設整備のメニューには施設利用者の状況に応じて特養老・老健・ケアハウス・グループホーム・デーサービス・小規模多機能施設等々がある。勿論、この分野もどんどん進化しているから現時点の話になる。
弊社で主催しているライブトークフォーラム・タカダ(年二回開催)にて高齢者総合ケアセンター「こぶし園」園長の小山剛先生から二回ほど御講演頂いた内容についてご紹介すると。
第一回目小山先生ご講演(2001年11月3日・長岡ルーテルキリスト教会にて):/タイトルは「私的老後生活への準備」であった。
先生自身の“わたし的考え”のお話、ということで始まった会ではあったが、ここから多くのことに気づかされ、教えられ、考えさせられた次第である。自分 はまだ老後のことなど考える年ではない、と思っている人や子供達にとっても、大切な問題が山積みでした。様々なデータを基に、面白く、分かり易い、楽しい フォーラムであった。以下その時の内容を聴衆者であったKさんがまとめたものを転記させていただくと。
(Kさん)「高齢者としての社会の規定は、65歳以上ということですが、私も60歳を過ぎて、そろそろ頭にも身体にも故障が出始めています。全国の高齢 化率は、2050年には33%にも達するとか。少子化も進み、一人の女性が一生に産む子供の数は1.35人で、まだまだ進む傾向にあるのです。それは、モ ラトリアム人間、パラサイトシングルが増え、DINKSやDEWKSの考えの人々も多いとか。自立しない成人、自分を中心に考えるあまり、結婚しても子供 はいらないという人達。ますます頭でっかちの人口社会ができそうです。こうした社会で、誰が誰を、どう支えて助け合って行ったらいいのでしょうか?人が土 に帰る前のちょっとした期間、平均8.3ヶ月、45%の人に介護が必要となるといいます。でも家族の介護機能は低下の一方。人手があったのは遠い昔の話で す。小山先生の体験では、一人で24時間介護できるのは、せいぜい一週間だそうです。人は皆happyな生活をしたい、となれば福祉制度に頼らざるをえま せん。ここで考えます。私は実際、老健施設に入りたいだろうか。いいや、「自分は自分らしく最後まで生きたい」「子供や孫にあまり負担をかけずに、ずーっ と良い関係を保ちたい」と思い、それを願っています。介護保険制度もスタートしましたが、とてもお金がかかるそうです。それならどうすればいいだろうか。 何とか地域の中で、安く、安心な、家庭が自由に訪ねられる場所はないだろうか。ということで、今、公認タイプのアパートをつくる試みがなされています。バ リアフリーでドアを開ければ、ホーム介護のヘルパーやナースがいて、食事や他のサービスもある質の高いものにしたいと考えています。これは地域の共同作業 が必定です。自分の出来る時に協力し手伝う。それを子供や孫が、また近所の人たちが見て、ああするんだなと気づき、真似て伝えていく、というものです。先 生の意図するところは上から押しつけられた理論的に作られた施設整備ではなく、自分だったらどのようなサービスを受けたいか?正に利用者本位つまり地に足 をつけた本当に望んでいるサービスとは?の原点から,とても私的なものから始まるべきである。」
と…・Kさんから頂いたまとめのお手紙を転記させていただいた。聞き入った聴衆は誰もが真剣な眼であった。私にとってもあっと言う間の時間であり、沢山の質問がなされた。
第二回目小山先生ご講演(2010年6月25日・サポートセンター摂田屋様の地域交流スペースにて):/タイトルは「地域で暮らす新たな仕組み」で開催された。
前回講演から約10年が過ぎた。今回の講演も小山先生のビジョンが着々と実現されてきた内容だけに重みがあり来会者の目と耳を釘付けにしてしまった。最も最先端の介護の仕組みを披瀝してくださったわけである。
どちらかというと隔離型の山や海の施設から地域密着型へ!サポートセンター摂田屋の施設は現在あるこぶし園の施設である特養老100床を市内の5箇所に 分散させてサテライト型としてサービスしようというものである。そうすることで介護を受ける方は住み慣れた地域で生涯過ごすことができる。家族・知人が直 ぐ近くで介護を受けることになるから隔離型では無く、融和型・地域密着型と呼ぶことができる。又、併設されている小規模多機能施設は、25人が登録して毎 日15人が通うシステムである。普通の生活をしている住宅地でサービスを受けることが出来る仕組みづくりである。
サポートセンター摂田屋に先立って最初に長岡市に特区としてサポートセンター美沢を立ち上げる現場に居合わせていただいたこの施設が今後の新しい施設・仕 組みとして全国モデルになるといわれている。進化はどんどん進む。施設から限りなく住宅に近づいている。お手伝いさせていただいた我々はとても嬉しい限り であった。
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施設を使用する人々にとっては運営側と利用者側では自ずと使い勝手の基準に食い違いがあることは否めないことでもある。私達は設計を御手伝いさせて頂く 時、第一人者(施設利用者)・第ニ人者(介護士など直接のケアー関係者)・第三人者(施設運営者)の要望を同時に満足させなければならないのあるが、それ でもどこを優先させるかで設計も少々変わってくることがある。第一人者をプライオリティーナンバーワンに置くのが主旨であろうが、置けば置くほど第二人者 にとって使いにくかったりする事も避けられない。むしろ痴呆病棟の場合には利用者の空間知覚が出来にくいと聞けば介護するナースを元気付ける様な空間を造 るようにしたりもする。(*参考:リラクナス棟とネーミング:田宮病院第9病棟)又,老人力の持つ叡智を孫子に伝授しようとケアハウスに思いを込めたりす る。(*トリーブスとネーミング:ケアハウストーリ) 又、長期療養型の施設であれば閉鎖型の空間は避けたいものである。廊下は道路、療養室は我が家、天 井は空、家々が空間の中に町並みを作る。そんな空間は精神的にもきっと開放してくれる事を願って。(*老健施設:ぶんすい*田宮病院第8病棟:ホスピデン ス:第4病棟)
折角の施設が単なる収容所になら無い様に多視点から検証され、少なくとも現代の楢山節考にならないようにしたいと考えて設計をさせてもらっている。施設 基準に要求される技術基準だけに終始したり収容面積の確保だけの箱造りだけは避けたい想いで一杯である。尚,老人施設を設計する時には最も危惧する事は私 達自身が本当の老人の経験をした事はないわけであるから勘違いの空間造りをしてはいないだろうか?勝手な思い込みで勘違いをしていないだろうか?尚一層に 現場の利用者に目を向け耳を傾けなければならないと考えている。
さわさりとて、目に見える物量としての施設整備も待機者を考えると急務である。しかし,目に見えない施設運営・メニュー・コンテンツはもっともっと進化し充実していく事が重大!
“あなた方の宝のあるところに心がある”と言います。第1番にすべきを第1順位に!
Ⅳ:孫は子より可愛い。
“子より可愛い孫”何時の頃から言われたフレーズなのだろう?言葉を理解するには往々にしてその言葉の生まれた時代背景に何が有った かを言及すればその解明は近道である。では一体どの時代背景に生まれたのか?(全く独善と偏見において以下述べことをお許し頂くこととして!)
人類の歴史は外敵から身を守り、食料確保の歴史でもあった。有史初期においては人為的なものよりもむしろ自然災害との闘いの中から食料確保に知恵を創出 してきたのであろう。定住化して農耕文化を作ってきた人々は、まず自然環境との闘いであったと予想される。河川の氾濫、大風、冷害、その度に思考錯誤の末 に定量化した必要な食料を確保してきたのである。尚、人為的な戦場に化した田畑は領地獲得の歴史の中で長い間沈黙を守って来たのも事実でもある。
食料を得る事は命を守る事である。一家の頭首が全てに優先させて号令を掛けた行動は食料確保であった。日常家庭の事など構っていられない。子供の事など 構っていたら子供を生かすことが出来ない。生物が本能的に子育てする仕組みは古今東西普遍的なものである。生命継承本能である。もはや可愛いと言う次元の ものでないのである。
やがて子供が大きくなり一家の頭首になった時に初めて目が泳ぐ。しかし、その時にはかつての子供はもはやいない。れっきとした大人である。かつての子供 である対象を喪失した親の目の泳ぎ着く先は孫である。“子から孫へ”はごくごく自然でもある。そのことに共感することを覚えた遺伝子は“孫の手をとる老人 の手には溢れるばかりの愛情が込められている”ことを本能的に感じ取るものではないだろうか。
先般おじいちゃんになったばかりの従兄弟が言った。子供よりも孫が可愛いのではない。気がついたときには子供は文句を言っていた。それにひきかえ生まれ た時の孫は何にも言わないでただ感情を生きる。守ってあげたい父性本能・母性本能のエンジン全開!そして子育ての時に失った対象喪失を埋めるに十分過ぎる 孫の笑顔。泣き声にさえ弱い。そして、そこまでなのだと従兄弟氏は言う。やがて時間が経ち孫の成長は反抗期へ誘われる。悪戯する孫には無条件で可愛いとは 決して言えなくなっている。そんな自分を発見する。…と変な注釈であるが何となく説得力あるコメントでもあった。そして私にも孫が与えられ、今年3歳!心 境は全てが証明されつつあると!
目にみえる可愛い笑顔に慰められメロメロ。そして、目に見えない囁きに尚一層大きな力が与えられ、この孫が“私のおじいちゃん”と言う囁きに。
Ⅴ:独特のユダヤ人の人生観
あるユダヤ系の実業家が事業契約する時の話を聞いた。何でもその実業家の仕事は世界を股に掛けるHホテルチェーンのオーナー経営者で ある。その話しはこうである。ある日その系列のホテルを建てたい旨の申し込みがあった。当然その名前を使うわけであるからノウハウとそれに支払う契約が交 わされる。そのユダヤ系の実業家は契約する場所を必ず契約者の国以外の第三国でやるのだそうである。(その理由は私には良くは分からない。それには触らな い事にしておいて)もう一つの情景に固唾を飲み込む自分がいた。それは契約時に必ず立ち合わせる人物がいるという。その人物とは、なんと“孫”だそうであ る。何でもその孫は必ずしも成人している必要は無いそうで、年令は問わないのである。そんな習慣を持たない私が少なからぬ違和感を覚えたといっても不思議 ではない。
事業観が全く違う。この話を聞いた時、同時に“目からうろこが落ちた”思いを強くした。そしてもう一つの条件は契約期間がなんと100年だそうである。 契約者が50年にしてくれたら高いフィーを払うからと言っても、決して取り合わないそうである。むしろ契約金額を下げてでも契約期間は100年のままを貫 くそうである。何故なら,同席しているこの孫が後世になって笑うから。と!
事業観が全く違う。再び“目からうろこ”である。事業継承を最優先する心意気と仕組みを真正面から見せつけられてしまった。歴史観が違う。時間軸に対す る価値観が違う。(それにひきかえ我々はなんと刹那的な事だろう)その時に受けたショック大きさには自分でも驚いている。そして、ことある毎に今でもその 時のバイブレーションを忘れる事が出来ない。正に人生観・いや死生観の大きな違いが通奏低音に流れているのである。
一喜一憂しない大きな長い次元に立たなければ決して考えられない思想であると思った。老人の知恵は実践として同席した子孫のスクリーンの脳裏にしっかりとインプリントされるのであろう。
自分の目で見える範囲の仕事としてではなく、子孫が振りかえって自分を見るその時の目が大切だ。今はまだ見えない目!
Ⅵ:探し物は何ですか?:居場所探し!の旅
そもそも“人間は何の為に生きているのだろう?”とは今も昔も変わらない人間にとっての永遠のテーマの一つである。目的を探している事が目的自体かもしれないが。
私達は何時も何かを探し歩いている。人生自体が探しものの旅と言って良いかもしれない。宝物捜し。職業捜し。自分の進路捜し。閉塞時代には新しいアイ ディア探しが求められる。…・・発見、発明と言う言葉で探し当てたときは祝砲が打ち上げられる。私どもの業界ごとあるが設計コンペは今や時代の風潮でもあ る。単なる価格競争ではなく。良いアイディアを求める探し物競争である。参加する競技者側にとっても自己能力開発にはもって来いのチャンスであリ、自分探 しの旅でもある。
探し物の中でも人類が何時も探していた究極の命題は『居場所探し』だったのではないだろうか。
ところで、捜し物を欲求と言う言葉で置き換えると分かりやすくもある。生きる為に食物を得る。食べ物を得るために人類は過激な戦をし続けてきた。安心し て枕するところを求めて自衛組織を作る。マズローは欲求を5段階に分けて分かりやすく整理してくれている。自己実現の居場所探しの階段を!人々を平安と喜 びに導く斬新なアイディアは今も探す人を捜している。
(同年代の)井上陽水作曲の歌が好きである。数々の名曲の中に、“夢のなかへ!”と言うタイトルの曲がある。詩の中で『探し物は何ですか?見つけにくい ものなのですか?…・まだ見つからないのですか?かばんの中も机の中も捜しましたか?』と言う一節がある。この詩はとても真髄をついていると思う。探し物 は一体何なのか?その探す対象さえ分らない事も往々にしてある。又、その探し物は本当にあなたにとって大切なことなのか?間違ってはいませんか?本当の探 しものはかばんの中や机の中にあるなんておかしい。と、シニカルに詩にしているみたいに思えるのである。むしろ探すこと自体が単なる人間の行動習性なのだ と言っているかのようでもある。
そして常に人達が鼻から息する事を許されている間中、歩む目的は“居場所捜しの旅”と言いきってしまっても良い!と結論付けるところから始めると面白 い。建築屋だからそうなのだろう。といわれても致し方ないのだが。確かに、建築屋は即物的にも居場所造りをテーマに掲げている人種だからでもある。そもそ も、人生は『居場所探しの旅』である。と言いきっても過言で無い。しかしこの居場所探しも中々難しい。簡単なテーマで無いだけに、建築屋サイドから単独で 見るよりも社会学者、心理学者、哲学者、宗教学者、思想家と一緒になってコラボレーションすればもっと面白い!
『居場所』この響きがもつ言葉には何時も秘められた魅力と得体の知れない大きなエネルギーを覚える。決して物理的空間だけではなく、かと言ってメンタル 精神的側面だけでもなく、両者を融合させたところから生まれてくる言葉の響きの様であるから。具体的に建築主様・クライアントから建築の依頼を頂いたとす る。この時の依頼には物量としての空間・物理的な空間を所望されている事が多い。居場所作りを建築空間として形造る時(前出の様に)コンセプトはとても大 切である。具体的に形作る過程ではコンセプトはとても重要であるが、一度コンセプトが置いてきぼりになると物理的空間だけが前面に出てくるような気がする のも否めない。“笛吹けど踊らず”的な無力感を覚える事になり、大きな勘違いの空間にならないようにしたいと節に祈るものである。反対にそれならそれで、 完成お引渡し後にはむしろ全て使用者側の新しいコンセプトに羽化(メタモルフォーゼ)してくれれば却って嬉しい事でも有るが。
自分の言葉に出会うために様々な居場所を尋ねる。私にとっても大学生の時に経験した北海道自転車一人旅はとても強烈な経験であった。“ねぐら”を探すの にこんなに寂しくもあったり、時に必死であり、決まった場所のない放浪の旅はあらためて独り言を語る。ここで私が大学3年生建築学科に籍を置いていた時の 思い出を話題にさせて頂くと。題して“居場所探しの旅”(北海道の自転車30日一人旅でしかないのになんと大仰なタイトル?笑われそうであるが、それでも 当時の悩める凡人青年の地を這いつくばっての探し物の旅には変わりは無かった)…・・「資金はその年の夏休みにアルバイト代を全部たたいて気分一新で進路 探しに出ることにした。北海道一周自転車一人旅の決行である。8月の5日に長岡を出発一日路は瀬波まででした。走行距離測定メーターは110キロを廻って いた。夏の日差しは厳しく、太陽は朝から手加減をしてくれない。炎天下・とても暑く。何度となく自問自答『俺は何をしているのか?』『帰りたい・帰ろう』 そんな想いのエネルギーがペダルを踏んでいる。やっとついた瀬波海岸でテントを張る。汗を流しに海に入る。食事をとってテントに入るとほてった身体はかっ たるく。海岸では海水浴に来た若者達が夜遅くまで花火に興じていた。その声も次第に遠のき、いつのまにか眠りにつく。翌朝は波の音で目が醒める。昨日は目 が醒めたら帰ろうと思ったのに、どうせだからもう一日と進路を北に進める。そんな旅をしながらいつも悩ませられることが毎日起こる。その悩みは何時も決 まって午後の2時以降にやってくるのである。特に、海岸沿いのテントではあまり感じなかったのだが、海岸線を離れて山中や大平原の中で強く襲う郷愁?『今 日の寝場所をどこにしようかと真剣に悩む自分を見詰める自分がいる。』これは一体何なのだろう。土地感も無い初めての地で、しかも人達がいない真っ暗闇の 中でテントを張ることほどの寂しさは当時の私にとってそうそう数えられるものではなかった。星が見える夜はそれでも良いが雨の夜にはそれはそれは寂しいも のである。真夏でも雨の北海道は心身ともに肌寒い。手探りしながら、ようやく立ちあがった仮の寝小屋テント。その一枚のテントシーツがこんなにも私の心を 包み込む力を要しているとは本当に感動ものであった。それにもかかわらず、その状態が“頭隠して尻隠さず”の喩えと変に重なり合ってしまってもいた。いま でも強烈に私の心に焼き付いている感情である。その包小屋でいつの間にか眠り、そして朝を迎える。朝はどんなに早くっても良い。自転車旅も“帰りたい旅” から“いつでも帰れる旅”になり、何時の間にか“新しい景色と人々との出会いを楽しむ旅”に変わって行った。・・・・・・
しかし、北海道の自転車一人旅をここで書くのが今回の目的ではないからまことに中途半端ではあるが30日旅行はこれでおしまいにしたい。何故こんな前書 きをしたのか?書きたかった一言は、ある日突然に旅に出なければならなかった事態が生じたとしよう。何を食べようか?何を着ていこうか?は初源的な欲求で あることは否めない。それにもましてどこにねぐらを取るかは、日常生活をしているとついつい忘れてしまっている。当たり前のことになっている。この旅が私 に教えてくれたもっとも大きなことのひとつは、寝場所の確保にこんなにも精力を使わなければならなかった実験といっても過言ではない様な気がする。
『人間の居場所(寝場所)ってどこ?』そして一枚のテントがいかに私を包み込む力を持っていたか。もはやミリ単位の厚さの領域の類ではなくなったのであ る。人間の体が第一の皮膚だとすると、衣服は第二の皮膚にたとえられ、家や住まいが第三の皮膚と言っても決して過言でないことがこのテントは教えてくれた のである。皮膚は常に内と外を区画する装置でもあり、外が内化する装置でもある。人間の居場所はこの装置が空間化し領域が膨らむことによってより豊かな空 間に昇華している。皮膚を通して心の中の出来事を感じることではあるが、それでも依然として目に見える世界の出来事に変わりはない。しかるに、目に見えな い心理的な居場所についてはどのように解決していこうとするのであろうか。今にして思うと『人間の居場所』はこの旅を通して与えられた大きなテーマだった 様な気がする。
勿論、何にも解決してはいないのに、ただテーマを見つけたような気がして、ただ心の奥深くにバイブレーションを感じ、一度は止めようとした建築を続ける 決意が出来あがった瞬間でもあった。この話しは客観的居場所(時に虚空間)ではなく、私の主観的居場所(時に実空間)を振り返りたかったからでもあり、そ して何時も私の居場所はどこだったのか?と問い掛けることによって普遍的な居場所を帰納させてみたいと言う欲望がきっとあったからに違いない。
今日の私の居場所は?物理的な居場所は雨露を凌ぎ暑さ寒さから身を守る覆いを必要としている。その基本形は三次元の物理的空間である。更に快適さを求め て技術は進化する。精神的の居場所は存在自体の認否が大きく関わっており、同じく更なる快適さは空間と時間の中での「関わり度という距離感」がとても大き な影響を及ぼしているのである。もし居場所に積極性・消極性があるとすれば、消極的居場所は物理的居場所を指し、積極的居場所は精神的居場所のテーマにな ると考えてみるのも面白いと昨今では考えている。
偉大なる聖人のみ教えに共通しているのが「居場所を凡人に知らせ、又、居場所を用意」した事ではないだろうか。お釈迦様は涅槃を説き極楽浄土と言う居場 所を指し示したのではなかったか?“心を騒がせるな私は場所を用意しに行くのだ”と言われたイエス・キリスト様は天国と言う居場所を指し示されたのではな いか。般若心経は般若波羅密多心経とも言われる。「般若=知恵」が「破羅=彼の地」へ「密多=連れて行ってくれる」と言う意味らしい。やはり彼岸と言う居 場所である。浅薄な私にはそれ以上の事は分らない。ただ直感として、偉大なる聖人は居場所を用意されたかそれを指し示されたとすれば、余計に私達の旅の目 的の一つは“居場所探しの旅である”と確信できるのである。そして指し示して下さった聖人は同時に「天国も・極楽も人の心の中にある」ともおっしゃった。 私達は時空を飛んでいる。そして目は外へ外へと。しかし,私達の本当の居場所は私達の心の中にこそあるのであろう。(宗教のお話などとても出来るような者 ではない事をまずお詫びし、建築を目指している書生だと言う事でご寛容頂きたい。)
カールブッセの詩を何時の間にか口ずさんでいる。“山のかなたの空遠く.幸い住むと人の言う!”幸いは人の心の中に本来生として持つ魂の居場所を探す事 だろうか?居場所探しの旅は続く。目に見える居場所は一瞬の内に通り過ぎていくが目に見えない居場所は何時間でも何時までも待っている様だ。慌てずにゆっ くりと!穏やかに!
Ⅶ:人生が二度あれば。
(再び)井上陽水の歌に“人生が二度あれば”と言うタイトルの歌がある。私はこの詩が好きである。詩はこうである。
父は今年二月で六十五 顔のシワはふえてゆくばかり
仕事に追われ このごろやっと ゆとりが出来た
父の湯飲み茶碗は欠けている それにお茶を入れて飲んでいる
湯飲みに写る 自分の顔をじっと見ている
人生が二度あれば この人生が二度あれば
母は今年九月で 六十四 子供だけの為に 年とった
母の細い手 つけもの石を 持ち上げている
そんな母を見てると 人生がだれの為にあるのかわからない
子供を育て家族の為に 年老いた母
人生が二度あれば この人生が二度あれば
父と母がこたつで お茶を飲み 若い頃の事を 話し合う
想い出してる 夢見るように 夢見るように
人生が二度あればこの人生が二度あれば
人生が二度あればこの人生が二度あれば
人は土とちりから造られた。息が吹きかけられこの地上で生まれて旅に出る。やがて地上での旅も終わりを迎える時が有る。息が引き取られて土に返ると小さ い時に聞かされた。命に始まりがある。始まりがあるから終わりが有る。そして終わりがあるから続きが有る。ひとつの生命が得た知識は確実にDNAの中で醸 成されて次世代に引き継がれていく。見方を変えて見る必要がある。ヒントはホーキン博士の言葉にある。“人間はDNAの運び屋に過ぎない”と。主人公は DNAなのだ。DNAが主人公だとすると人間の位置が良く見えてくる。DNAは永遠の旅をするのに乗り物が要る。生物の身体なのだそうである。人間を主人 公にして不老不死を求める旅の見方からは決して考えられないことでもあった。
人生はDNAの運び屋をする事で完了する。地に種を落として死なねば穂は出ず。二度はないのである。
目に見える父母は去っていく。そして目に見えない父母はメモリーとして益々近くに居ることになる。
Ⅷ:自分の顔に責任持て。額に刻み込まれたしわが語るもの。/そのまま老人になる。
顔がその人の人生を語る:言葉は要らない!と。自分の顔に責任を持て!とも。額に刻まれたしわは正にその証拠である。その人がどのような風景・景色を見てきたかが刻み込まれているからである。
年が寄ると新しいものよりも、かつて歩んできた時の風景に懐かしむ時間を費やしてしまうものだと聞いている。きっと!
私どもが医療福祉施設関係の仕事のお手伝いをさせていただく時のキーワードに施設の使命として“優しさを醸し出す空間づくり”を挙げさせていただく事が往々にしてある。
優しさの空間のひとつに“懐かしい空間づくり”があり、昔見た景色や体験した風景、更に見馴れた風景に心が和み、ほっとした心を一層慰めてくれる。かつ てT病院で作業療法士をされていた早川昭先生からお話を聞く機会があった。早川先生は音楽療法士新潟県第一号でもあると伝え聞いていたが、仕事の内容はよ くは存じ上げていなかった。患者さんが生きてきたその時代の風景の音・音楽を聞くことによって心を開いていく。歌謡曲でも民謡でも何でもいいのだそうであ る。馴染みの懐かしい音を通して共通の言葉を探す。そしてリハビリして行くと言うものであった。大変感動しました。建築屋の私達も見馴れた形を置くことで ギャップをなくしていく。そんな空間づくりも優しい空間づくりのひとつと言って良いかもしれない。
早川先生は『光と影』『精神と身体』『生きた自分と生きられなかった自分』相反するものが共生するというテーマで話された。“人の人生を時間にたとえる と正午は42歳くらい。午後はそれ以降。だから42歳を過ぎると午前中の影になっていた方を見ることが出来る。”という心理学者・ユングを引用されて話が 進行していった。以下、早川さんのお話の骨子を書かせていただくことにする。
① 言葉の表と裏が気になる。
② 私から見て相手の人の中に『表と裏が存在』している。
③ 同様に、光と影。光と闇がある。
④ 言葉と声にならない言葉が気になる。
⑤ 今現在生きている自分と生きられなかった自分がいる。
⑥ 見えることと見えないことがある。
⑦ 性癖:小さいときから育ってきた環境に大きく影響される。
⑧ 例えば、親から引き継いだ仕事。本当に自分が生きたかった自分だったのか?生きられない自分はどうだったのか。
⑨ 本当に生きたい自分と生きられなかった自分が反逆を起こすことは無いのだろうか?
⑩ 18才頃から思った。感情が無かったらどんなに楽で良かったろうかと。今現在の仕事は障害者の作業療法医療を行っている。そんな関係からも感情は大きなテーマでも有る。
⑪ 表に出てきたのは知的な自分・裏には自分でも制御できない感情的な自分がいる。表も裏もとても大切なことである。
⑫ 退院したい自分・退院したくない自分:仕事の関係上声にならない声を聞いていきたい。
⑬ したいこと。したくないこと。そのことが分かると分かりやすくなるのだが。
⑭ 光と影が同時混在する。それを素直に見つめていき仕事をやっていきたい。
⑮ そこで、新潟県音楽療法士の仕事第一号になられたみたいである。
⑯ 共生創造は心身ともに言えることが分かりました。二元対比するのではなく。生きられなかった自分が生きている自分を支えている.目に見える自分は目に見え無い自分に支えられていると言うことになる。
正に“目に見えるしわの向こうに見える人生”そのもの。私のテーマ(目に見える形と目に見えない想い)とも重なってとても興味あるお話であった。
Ⅸ:おばあちゃんの漬物の秘伝の伝達はもうお済ですか。伝えたい知識
近年は何でもかんでも分業化されてしまった。ひとつの事には特化され得意分野でも他のことになるとからきし不案内と言う現象が多々で ある。或いはグローバル化と称して一辺倒の風景になってしまった。特に建造物にいたっては日本中どこでも総キオスク化と、かつて嘆かれたりもした。そして その傾向は根強く地方性や個性がなくなってしまった。どこに行っても同じ景色が見えるのである。
家にはその家だけの味がある。そしてその味が継承されて文化が形作られてきた。おばあちゃんの秘伝は普遍化されたマニュアルではなく、その個性がそっく り味に反映するのだ。味は単なるテクニックではなく、考え方そのものである。思想なのです。確かにおいしい惣菜はコンビニに行けば簡単に手に入れる事が出 来る。しかし、独特の個性味は消えていく傾向にある。
豊さとは完成したものばかりではない。作っていく過程の中に作られていくそのプロセスその物でもある。教育もそうだ。一辺倒の教育から個性教育と歌い上 げられてかなりの年月が流れた。夫々の個々人が持つ能力には差がある.その差が味なのだ。かつて掲げられた自由教育は果たして良い結果だったのだろうか? 自由教育と言うマニュアルを作ればそれは一辺倒教育になる。
小学校4年と5年の時の担任はM先生であった。M先生はとても素敵な仕掛けを作って生徒達を一瞬にして虜にしてしまった。決して優しい先生ではなかっ た。むしろ、手が先に飛んでくるような先生でもあった。出来事は雨天の月曜日の朝一番のホームルームの時間に起きる。 “お話コーナーの仕掛づくり”なのである。天気は雨で外は暗い。怖い話が始まる。皆耳を畳かけながら聞き入る。先生の声は今のどんな声優でも出せないくら いに物語の中にはまり込んでいた。その声の抑揚に各自は自分勝手な風景を想像する。その時間が終わる頃には来週も月曜日は雨が降るようにと祈る。今では考 えられない素敵な・粋な仕掛けをM先生は作ってくれたのである。日曜日に遊びつかれた子供達、しかもそれほど勉強が好きなわけでもない。普通は遊び疲れた 月曜日勉強なんて、とてもとても学校になんか行きたくない。しかも,雨。無断欠席も一杯あった時代。学校に行きたくなる仕組みを作られたM先生はとても怖 い先生でもあったが今では最も印象に残る先生の一人でも有られる。言い語りは今も続く。
泣きつかれた子供がお母さんの背中でびっしょりに汗して眠っている。かすか向こうに聞こえる子守唄。…・・おばあちゃんの知恵は伝えられましたか?
Ⅹ:お役立ちになりたい生甲斐の居場所
何も老人に限ったことでは無く人達にとって精神的に人が居心地良いと感じるのは私自体の存在を認めてくれる所。更に価値を高く評価し てくれるところ。別の言い方をすれば“声を掛けてくれる居場所”と言っても良い。人と人との関係が真剣に取り合う環境。反対に誰も声を掛けない、無視する 居場所は不快の極みということになる。認める相手の多くは他人であるが、少なくとも自己で認める空間が必要である。命を育むに必要なのは愛の言葉であるは ず。その愛の言葉は相手の存在を高めるために様々な行為行動で成されるもの。分りやすくは“人の喜び・至福な時とは相手の人が喜ぶ時である。更に、その喜 びに自分自身が関係・荷担している時である”“お役にたつから生きていく力が沸いてくる”いてもいなくても良いと言う居場所は自分の存在を無視するところ になる。私達の生命を支える居場所は酸素があり、緑があり、空気があり、太陽があり、奇跡に近い条件を満たしながらこの地上で生かされている。そして存在 の価値を認めてくれる居場所。お役に立ちたい生甲斐の居場所!
お国の為に命を落とした人々。人のために自分を礎にした人々。必要とする時には手が届かず、要らない時に余る手。
生かされている環境があるから生きている。お役に立てるから生甲斐がある。
あとがき:
もう古い話題であるが、老人力と言う本は実に面白い本である。赤瀬川源平著(筑摩書房)は老人問題に独特の見識を披瀝・新しい発見を見た。老人力の発見 者が藤森照信氏と南伸坊氏であり、発見物が著者の赤瀬川氏であるから面白い。建築を職業とする私にとっては藤森氏が建築家であり、建築科の教授でもあるか ら余計に面白い。建築家業は何でも好奇心旺盛の種族でもある。
実に長い間、記憶力はプラス能力。忘却力はマイナス能力と教育されてきた〈?〉ような気がする。だから,忘れる事が記憶する事と同じくらいに凄い能力だ と著者は進言する。最初はあべこべの御伽の国にやって来たような気軽な気分と受け止めていたが、そう言えば忘れたい事も一杯ある事に気がついた。恥じっか きの失敗談などは出来るだけ早く忘れたい。歯医者さんで治療してもらう時のあの音を忘れたい。「虫歯にならない為には甘い間食をしない。しっかり歯を磨 く。」こんな風に決意をする。そして,いやな金属音も忘れて快適な日常に戻る。しかし、再び忘却・不摂生!
怖い映画を見た後ではトイレさえ行けない夜が有ったではないか?夜の散歩など絶対に出来ない程に強烈なシーンもいつのまにか忘れてしまう。もし忘れる事が出来なかったらかなりなストレス?いやそれ所ではない筈,生命の危機を招きかねない結果になることもある。
そもそも、価値基準を二元対比する事こそ問題なのである。プラスとマイナス、白と黒、善と悪,等など。だから一方で、プラス=白=善=記憶力と等号化 し、マイナス=黒=悪=忘却力に分類する。しかし事態はそんなに簡単ではない。実に多元的なのである。プラス=黒=善=忘却力であったりする。そんな価値 基準の定義を教えてくれているような気もする。
あのパスカル氏曰く。(パスカルの原理を発見した物理学者であり、パンセを書いた哲学者であり、聖職者でもある。)もし人間の目が水平でなく垂直の位置 に目がついていたら考え方や価値基準がかなり違ったものになっているだろう。人の目が水平についているから人と人を較べる習性が人にはあるのだ。もし,目 が縦についていたらきっと人は神と人間の関係についてしっかりと考えたであろう。と言っている。
老人の考えも百人百様である。しかし、社会はこの百様の価値観に答える事が中々難しい。それでも「初めがあれば終わりがある」的な考えに,『終わりがあ ればつづきがある』を付加えるだけで、苦しい思いをした人はこの繰り返し,つづきは無い方が良いと思う。もうちょっとで良い結果が出るのなら一旦おしまい でもつづきが欲しい。
「宝のあるところに心があるものである」とは本当だな―とただうなずく。
6年前の5月の下旬に小さなお客様が20名ほど会社にやってきた。
小学校の6年生である。2002年の4月から始まった、新教育方針に従っての『ゆとり教育』の一環授業である。一時間ちょっとのお話しを終了すると担任 のI先生が一言、NHK番組の課外授業の様で大変感動した!とコメントされた。当日の課題は会社に訪問した時に事務所の受付玄関ホールで代表の女の子が “今日は高田さんの夢とその夢を実現するにはどうするか?についてお話をお聞きしたいと思います。”と準備して覚えてきた言葉を口上した。
夢か?私も好きな言葉の一つである。普段何気なくする仕事も皆、夢と希望によって突き動かさせられていると言った方が適切である。若い人達は夢を多く見 る。老人は夢を見なくなる。と聞いた。本当だろうか?誰かが言っていた。人は本能的に死を直感するとその人が歩んできた今までの景色・風景を一瞬の内に垣 間見るという。過去を振り返り歩んできた足跡を見ると言うのである。それまでは振り返ると言う事は中々苦手であり、意識はじっとしている事が出来ず、先へ 先へと進むからであると言われている。しかし、一度進む方向がさえぎられた時には止まる事の無いその意識は後ろを振り返るしかないのではと。
若者と老人が二人三脚のように進めるのは、決して「始まりの後の終わり」で終了しない。『つづき』があるからである。前述のように人間自体がDNAの旅の乗り物と考えると永遠と言う意味が解けてきそうである。
因みに夢について小さな訪問者の一人一人に聞いたら、『スタート』『希望』『努力すると報われるもの』『実現不可能なもの』『ぐちゃぐちゃしたもの』… などなど。しかしいずれも未来に起こる事象であると言うことでは皆と共通認識した。希望を無くすると人は生きられない。人は夢を食べて生きる生き物なの だ。人はパンのみにて生くるにあらず、夢と言う言葉によって生き・生かされている。そして夢はかなえられるべきものであり、その続きなのである。
夢の実現は一般的には未来におこることである。未来をマイナス思考に考えれば「不安」だらけであるが、プラス思考を持てば「希望」である。未来だから不 安と希望が混同する。であれば、過去形にすることが夢実現の近道である。未来に起こることではなく、過去に起こったと考えようというスタンスである。夢は 実現したという過去形にして勉強してみたらいかがか?
6年後にI先生の家は完成した。とても個性あるステキな巣舞である。先生も夢を実現された。巣舞いづくりの打合せ時にI先生がぽつんと一言!高田さん、 当時お伺いした生徒達の仲から現役で東大入学者が3名でたのはリコードでした。女医さんになりたいが成れるか成れないか心配したHちゃんも希望の医大に入 学できたと聞いて妙に嬉しくなった。
老人の希望を実現モードで過去形に出来たら本当の老人力発揮で!少子化を驚かなくてよくなるに違いない。
繰り返しますが、私の職業は建築設計・建設関係です。様々な建築のお手伝いをさせていただいていますが一番多いのが住宅建築・住まいづくりです。住まい を巣舞いと呼ばさせていただいているのは、目に見える形『巣』は目に見えない想い『舞』によってつられていると言う事を言いたいからである。
そもそも、デザインなる言葉は正にそうである。DESIN=DE+SIGNです。サインは印。DEは否定する接頭語?印がないもの目に見えないもの,形以前がデザインです。言葉が形になったとはそのことです。(ラテン語の言語意味は違うらしいが)
空間の流れに出会うと気持ちが良い。力の流れ(空間を支える構造)に触れると身が引き締まる。心の流れ(空間を造る意思)の美しさを楽しむことは至福の 時である。そしてその時も流れる。不思議な流れと言う時空の中で生命は誕生し老いて行く!宇宙大河の流れの中で居場所探しの旅は今日も続く!
付録:・施設の実例:分水・ホスピデンス・ケアハウス・第4病棟+++住宅集
:サポートセンター:美沢・同:摂田屋・ミトロの森メディカルゾーン
:喜多町診療所・