“還暦マイナス3歳”の手習い:「手づくり作業」は又楽しからずや。
エッセイ
今年のお盆はからっとした夏空にはならなかった。ニュースでは6年ぶりに夏のない梅雨季から秋になってしまう年になるのではと懸念していた。
そんな天候の合間を縫って今年のお盆は炉用の灰づくりに励んだ。〔正確に言うと励んだのは私ではなく女房と娘であるが・・・その補助と言ったところである〕
灰作りで大事なのが晴れ天気・燃える太陽である。
一昨年からお茶の作法を学ぼうと裏千家の先生である伯父のT先生の門を叩いた。
と言うと聞こえは良いが、実際は住宅や割烹の設計を頼まれると時々茶室のお話が出てくる。
その時に図面上だけでなく作法として習っておくに越したことはないという必要に迫られてのことであった。
会社のスタッフにも今後、設計上必要になるからと言うことで参加を促したところ第一陣は8名で参加することになった。出席率の一番悪い私がブログに書くのであるから迫力は不足気味であること。
スタッフの皆様、ご寛容の程を!
私にとって茶事習い事は今回が初めての挑戦ではなく、遡ること15年前に一度は挑戦したのであるが、
当時はとても忙しく通うことは出来なかった。そして当時はT先生も15歳若く教えに力が入っていたように思えた。そんな中での私は習い仲間の足手まといになるのでは?と中断である。
15年経ったT先生も多少丸くなられ(私が大人になったのか?)すんなりと習い事3年目に入ったのである。
と言えば聞こえは良いが、習い日は週末の夜:当然、様々な会合とバッティングする。必然的に欠席の月が続いてしまう。それでもちょっとの時間があればお茶を頂きに行くのはその時間が精神的にも大変穏やかなものを感じるからである。
昨年には我が家で、T先生から炉用の灰づくりを教わった。と言っても自分は何もしない。T先生と助手そして女房と娘がするのを眺めていただけであった。
今年は先生も助手もお出ででない。そこで私の出番である。水こし・灰干し・秘伝の液体入れ・練りこみ・灰干し・・・何度も繰り返して最後に篩い落としして出来上がりである。
それはそれなりに楽しいものであった。汗を拭き拭きの格闘であった。昨年は見ていたが今年は実際に灰に手を触れ捏ねているといつの間にか愛着がわいてくるのである。炭手前は灰づくりから!不思議に納得している自分に気がつくのである。
T先生は年齢に反比例するかのようにスピードアップで、様々な点前を教えようとされている。実践も大事と、二年間に二度のお茶会を持たれ我が社のスタッフも大奮闘である。(私の役どころは切符きり)昨年10月には分譲土地:リプチの森で一夜城ならぬ一夜茶室がつくられ町内の文化祭に合わせて茶会を開催したのである。寸法は利休の長男:道安好みの三畳下座床であった。
リプチの森の一夜茶室 道安好みの三畳下座床 灰手前:炉に灰を入れる
灰汁抜き 細かく灰をもむみ日干し
直木賞受賞作:山本兼一著:「利休にたずねよ」には、読者である私がお茶を習っていなかったら読み込めない所作がたくさんちりばめられていた。これも副産物である。