高田清太郎ブログ

天災は忘れないうちにやってくる(喉元過ぎても熱さを忘れない)



エッセイ

大型台風18号は、2年ぶりの本土上陸であった。
発生当時は、920hPa最大風速55m/s〔時速では約200km〕新幹線の上に載っているようなものであるからかなりの大型台風といわれていた。上陸予想と目掛けるコースが、真っ直ぐに新潟県・長岡市をめざしている。何時もの台風情報は日ごとにコースを変えていくのにこの度の18号は全然その気はなかった。
2009年10月8日に台風18号は、大型であり予想進路がブレず新潟県を目掛けてまっしぐらであった。本土上陸時の気圧は945hPa、風速は45mもあり、来たら大変な被害を受けるだろうと予想して前日からスタッフ一丸となり対応していた。台風被害を受けた方々には申し訳ないが、直前になって進路を東に移し、新潟県内には大きな被害がなく通過してくれ本当に良かった。新潟県にとっては佐渡沖を通る台風が、一番大きな被害を与えると言い伝えられているから今回のように東側にコースを取ってくれたときは良かったと思ったのは私だけではなかった。建築会社の我々は常に天災との闘いでもある。天災から如何にクライアントを守るか?今回は特に、前日に住宅の上棟を2軒したばかりであった。大変ひやひやものだった次第である。
年とともに忘れる能力が大きくなってきたのに忘れることが出来ない事の一つとして、小学6年生の時の台風がある。その時のコースも今回の18号と大変似ていた。昭和36年9月16日の第2室戸台風である。室戸岬に上陸:上陸時は925hPa、最大風速66m、最大瞬間風速84m。大木が倒れ、停電にインフラ破断で都市機能は停止。死者・倒壊家屋も多数出た大型台風であった。
当時、小学6年生の私は台風が来ると言うので本家に皆集まり待機していた。夜半から風が吹き始め、夜中に渡って大暴れした記憶がある。子供も含め3所帯の家族総出で対応したのである。木製建具も釘打ちし建具に確りと押さえているようにと言うのだから今思うと不思議な風景シーンであるが、その時は子供なりに真剣であった。
一度凪になった時は、台風の目に入ったと後で聞き、その分吹き返しは凄く、翌朝には周りに大木がばったばったと倒れていたことを鮮やかに思い出す。屋根が飛んだ家、倒壊した家屋が沢山あった。大変怖い目に会ったことは子供時代であるだけに余計に大きく感じたのかもしれない。今回はそれとは比較にはならない台風ではあったが、怖い目を見た経験者はどうしても最悪を考えてしまうのである。
台風が来るといつも大声になって命令をする。準備に越したことはない。ましてや祝い事の建築物に傷をつけてはならない使命だけが大きく膨れ上がる。準備しても来ないに越したことはない。準備万端だったので、進路変更してくれたと考えると楽しいもの。人は誰しも嫌な思い出は出来るだけ忘れたいものであるが、第2室戸台風は、私にとっては何を忘れても忘れることのない出来事の一つ、強烈なメモリーである。
台風シーズンはまだ終わっていない。備えあれば憂いなし!ヨシ
  
地上天気図(10 月8日09 時) 気象衛星赤外画像(10 月8日09 時)