畦道の芸術祭:大地の芸術祭・水と土の芸術祭・などなど芸術祭が百花繚乱と華やいでいる。
エッセイ
啓蟄(けいつち)と畦道の芸術祭
3月6日は啓蟄(けいつち):二十四節季のひとつで立春3月21日までだと言う。ウィキペディアに拠れば大地が暖まり冬眠をしていた虫が穴から出てくるころ。暦便覧には「陽気地中にうごき、ちぢまる虫、穴をひらき出ればなり」と記されている。柳の若芽が芽吹き、ふきのとうの花が咲くころ。まさしく生命が冬眠から覚めて活動する季節である。復活の季節である。雪国の人々にとっては待ち遠しい春である。「早く来い来いお正月」から、「春よこい 早くこい 歩き始めたみいちゃんが 赤いはなおのじょじょはいて おんもへ出たいと待っている! (相馬御風・作詞、弘田龍太郎・作曲) 」へ!
田圃にも雪がまばらに残る季節である。今年の春先は三寒四温と言ってよい日が続いた。しかしここのところ確実に日一日と春の風が運ばれてくる。まだまだ、田の打ちの季節ではないのに農道や畦道では、一足早い田の打ち〔耕し〕が始まっている。モグラ塚があちらこちらに散在している。
モグラの巣は地下2mくらいにあるらしい。そこから連絡網を張り巡らせて餌場の現場へ直行である。丁度、全ての道はローマに続く!の比喩の様に、大ローマ帝国が帝国維持するために非常時には、軍隊がスピーディーに移動出来る道・街道を延々とつくり、維持し続けてきたのに似ている。幹線街道から地表10~20cmの餌場までの通り道は200m前後あると言う。何でも一匹のモグラの守備範囲は200㎡とも500㎡言われている。大好物のミミズが落ちてくるのを待ち構えて食にしている。そんなモグラ君の天敵の一つが蛇だと聞いた。現場検証したわけではないが親父の話では、もう直ぐ冬眠から目覚める蛇が、モグラのトンネルを目掛けて侵入してモグラをぱくりとするという。本格的なモグラ生息調査に関しては他に任せるとして、私はモグラがつくる感動アートについて朝の散歩で撮ってきた写真を載せたいと思う。
まずモグラの描くキャンバスは大地である。農道であり、畦道であり、田圃の中であり、畑である。時に人家の庭先である。モグラの目は退化しておりほとんど視覚を持たないらしい。だから描く絵は、目で見ながらデッサンは出来ないのである。しかし、ダイナミックに描く絵はかなりのエネルギーを使った大作には間違いない。音楽家で言えば、耳が聞こえなくなって第九を作曲したベートーベンにも匹敵する???ことになる。ここまで言ってしまうと何とも大げさで、先の着地点を見失いそうである。話を戻して、あんなに小さなモグラ君が一匹で数百メートルものトンネルを維持していると言うのはまさに驚天動地〔モグラ君はまさに地を動かしている?〕である。又、一匹で大層大きな面積を網羅しているのであるから寂しくは無いのだろうか?家族はどのように生活しているのだろうか?などなど勝手に心配してしまっている。それにしても大変な働きもの〔働きモグラ〕である。仕事量とエネルギー消費量の法則から言えばかなりの大食漢でもあることになる。一体ミミズのほかに何を食べているのだろうか?
雪国では土の中のトンネルだけで無く雪トンネルまで掘ってしまうこともままある。又地表から余りにも浅いトンネルは崩れてトンネルが露出してしまっている。
その表情がとてもユニークでモダーン書画に見えたり、スペースシャトルから見た都市計画道路網の様にも見えるからとても感動ものでもある。
全国各地で繰り広げられている芸術祭も多くの人々に感動を与えてくれている。掛けたエネルギーに比例してその感動量も違って伝わってくる。昨年には新潟市で水と土の芸術祭が行われた。大変な反響でもあった。強風で吹っ飛ばされた作品もあった。その直ぐ後で再生!
県内の芸術祭で先輩格は何と言っても越後妻有の大地の芸術祭である。トリエンナーレであるが定着してきた。最初に立ち上げた人々のエネルギーは大層なものであったと聞いた。心より敬意を表したい。
最初の仕掛け人は現在、新潟県新発田振興局地域整備部参事 建築課長 渡辺 斉さんである。渡辺さんは中越地震のときに長岡市に復興官としておいでになられたが、元々は本庁で県内の住まい、まちづくりに情熱を持って貢献されておられた。渡辺斉さんの奮戦記がなければ始まらなかったことであると伝え聞いた。
私どもが8年ほど前に亀田町早通で住宅分譲地の造成に関わることになった時にも力強い声援を送って頂いたことを覚えている。役所仕事の中では前例が無いことで新しい提案が一蹴されてしまうことがままあるが、早通のまちは柿ノ木通りと命名された個性あるまちづくりではあったが、そんなまちづくりにも大いに共感していただいたのである。
分譲土地と言うととかく道路はグリッドで、金太郎飴のような一律なまちづくりになりがちであるが、当プロジェクトでは、今まで立っていた樹木を残しながら道路をつくり分譲したのである。土地の持ち主であられた建築家玉井一匡氏の提案による共同事業であった。結果としてかなりのクランク曲がりのある道になり、通行人達には風景を何倍にも楽しむことを提供してくれることになった。道路は真っ直ぐにという町側と大いに議論したのである。町の名前は「柿木通り」である。お陰さまで19画の豊かな間知づくり無事完売したのである。完売は実は町づくりの始まりでもある。時間と共に間違い無く豊かな町に育ってくれるだろうことを確信している。柿木通りのまちづくり〔リンク先にジャンプ〕
又、昨年オープンした秋山孝ポスター美術館長岡も渡辺さんからのご助言が無ければ出来なかったことである。秋山孝先生が前身は大正14年築の北越銀行宮内支店の建物を購入してご自分の美術館をつくられると言う。NPO法人:醸造の町摂田屋まちづくりでの会でその報告をさせていただいた時には参加者は皆で盛り上がった。しかし、実現するにはどうするか?そこが重要である。渡辺さんからは復興資金を使用出来るサジェスチョンを頂き、又、関係皆様からは大変多くのご協力を頂いての完成であった。見事に美術館としてリノベーションされ町の宝となってくれた。年初には長岡市都市景観賞も頂くことができた。(秋山孝ポスター美術館長岡サイトへジャンプ)
まちづくり・すまいづくりに、とても情熱をもたれている渡辺さんからは今後とも新潟県のまちづくりに益々のご活躍を期待・祈念したい次第である。
農作業のはじめに田の打ちがある。それに先駆けて、地味ではあるがモグラ君は一生懸命に農道・畦道を耕している。モグラ君は自分に負けじと今日も大作に励んでいる。一朝にして完成しない大作に。今朝の散歩でもヒシヒシと伝わってきた。私達も益々、新しいすごしやすいまちづくりに励みたいと思っている。自分とモグラ君が重なる錯覚にとらわれながら
今朝も散歩を楽しんでいる。
モグラ君達が学んだ書家先生?〔上野の森亀甲展より〕「神農」なる文字はモグラ君を地で? 文字自体が「土竜」の書体?
軟土を効率よく耕す 農耕機のキャタピラー後と協奏?
モグラ君のエネルギーで雪まで融かす。 中は結構温かそう? 雪の中から出てきては見たものの!
春さんこんにちは! 雪穴は中のほうから融けている。 まさに白布一筆
農道と雪道の狭間で! 畦道と田圃の接線ゾーンは水際 折角這い出てきたがまだ雪
農道をキャンバスに立派な書家 砂利道さえ何のその。 畦道を耕す
こんなに長い畦道をセッセセッセ! 雪を土と勘違い?雪融崩落?