高田清太郎ブログ

様々な高さ!突如現れた摂田屋スカイツリー



エッセイ

高さを競うタワー:東京スカイツリーがついに世界一に! バベルの塔とその高さへの象徴

スフィンクスのなぞかけは「朝四本足・昼二本足・夜三本足で歩行する動物はナーニ?」であった。答えは:人間!高さへの憧れは4本から2本になった時に自力で高さ視線を3倍以上も確保したことになる。
人は誕生してから二本足で歩くまでに一年近くが掛かる。二本足で立つことで一気に景色が変わる経験をしてしまった。
人は赤ちゃんの時からお父さん・お爺ちゃんから抱っこされて“高い!高い!”と掛け声とともに家族みんなを見回すことが出来る高さに有頂天であった。高さへの憧れや挑戦はこのときから始まっていたのだ。
高さの比較は身長の比較から始まる。しかし、空の上から眺めた時には並んで歩く複数の人の高さ差を判断することが出来ない。実際に10階建ての屋上から真下を歩く人の背の高さを当てることは至難の業である。
なんでも比べたがる人間の性は高さへの競争を一層助長する。
鳥のように空を飛びたい想うことから実現した飛行機!
エベレスト登頂は人類の歴史の中での強力なメモリー
高さ:人類が生存していくために外敵から身を守るために一速い情報キャッチが必要であった。高い木の上に登ったり、物見やぐらを建て遠方の敵を見当てるのである。
懐かしい風景の一つに火の見櫓がある。様々にデザインされた火の見櫓にはオールウェイズ3丁目の夕日が似合いそうである。煙の上った方向をより的確にキャッチし消火活動部隊に情報を流すステージが火の見櫓である。
国技館の前には太鼓櫓が立っている。高さは19mである。場所中には、この高さから響き渡る太鼓の音で両国一体は賑わいを演出する。幟も華を添えることになる。
昭和33年・333mの東京タワーは電波塔と言うよりも東京の観光名所地シンボルであり、戦後復興の象徴でもあった。長い間日本一の高さを誇ったタワーであった。
東京スカイツリーの高さ:634mはタワーとしては世界一になると言う。竣工は2011年末・供用開始は2012年春と聞く。東京タワーの高さを3月末に超えて日本一の高さに到達した。
幼き日に世界一高いビルはエンパイアステートビルであると決まっていた。現在、世界一のビルはドバイに誕生した。まさに国威を張り合いの象徴でもある。
今年はじめに完成した、ブルジュ・ハリファと呼ばれるドバイの塔は自立型建築物としては828mであり名実共に世界一である。近代のバベルの塔はかくして誕生したのである。
高さは優越感の象徴でもある。その昔、バビロニアにバベルの塔が作られた。高く!高く!聳え立つ塔である。それらの行為は人間の傲慢から生まれた神への挑発であるとバイブルは記している。結果、神の怒りで働く人々が同じ言語で話せなくしてしまった。それまでは、同じ国語で協力しあって塔を作ってきたが、言葉に混乱が生じ意思疎通できなくさせられたと物語は続く。(バベルの塔の名前は「混乱」を意味する「バラル」であったという)
さてさて、高さの張り合いは世界的レベルではなく、散歩レベルでのことであるが摂田屋スカイツリーが橋の向かいに突如として立ち上がった。まさに一夜城ならぬ一夜塔であった。
視覚的に邪魔だけで無く、高所恐怖症もちの人にはかなりきつい居場所である。
先日、三階全部をリフォームされるクライアントのT様と話していた。ご自宅は築20年、鉄筋コンクリート三階建てである。建築当初は周りが二階建てであり、自分達の住む居場所は三階であったから景色は絶景であり、同時に開口部を全解放しても自分達のプライバシーは確保できたのであるが、その後直ぐ近くにマンションが建ってしまった。20階である。リフォームするに当たり、マンションの住人からの視線が気になるとのことが打合せのたび毎に出ていた。
一方的に上から下を見ているという概念は果たして当たっているのだろうか?反対に上にいる人は常に周りの住人から見つめられていると考えてしまっているのではないだろうか?
「キャッチ ザ スカイ」であれば高さはとても嬉しいが、反対に「キャッチ ズィ アース」はかなりつらいことになる。果たしてどちらの視線が気になるか?どちらがプライバシーを侵害されるかと言うことをあらためて考える機会が与えられた。
見る人は見られる人であり、見られる人は見る人に容易に立場を変えることが出来るからである。見ている人が見られており見ない人は感覚の中で見られている意識がないのかもしれない。結論は相見互いであると一人決め込む。
建築設計に携わっている人たちが常に向き合っている基本的通奏低音に広さと大きさがある。そして想いを形化していくときにスケッチ・図面は切っても切り離せない手法であり、基本的な道具のひとつである。そしてその図面は原寸では大きすぎるので必ず縮尺スケールを用いるのである。
坪単価で代表されるように建設費を考える時の基本的基準のひとつに面積がある。空間全体としてよりも平面広さがその条件の第一に置かれていることもいやというほど経験させられている。しかし、安易な建築主は実際には縦と横の大きさから決まる平面積に加えて高さ方向のファクターが加わり空間スペースとしてのボリュームこそが建設費に大きく影響することを見落としてしまっている。
広さや広がりは相対的なものであり、同じ面積でも大平原に置かれた場合には大変小さく見えるも、街中の混雑した極小土地が相対的に大きく感じることは誰でも経験するのである。
建築工事に着工する最初は地縄張りである。地面に原寸大の平面図を落とし込むのである。すると決まって建築主の方は『こんなに小さいの?』である。(差別用語ではないことを前提に言えば:女性に基礎工事を見せるな!必ず小さいと叫んでしまうから。)
しかし、実際には建築は平面的な二次元+高さが加わり三次元空間に住まうのである。三次元になった時に初めて大きさの再確認が出来るのである。
そもそも人間の目は水平についていることからも水平的視覚には慣れているのであろうが、その分反比例して、高さ方向にはより敏感であると言っていいのだろう。
高さなるファクターが入ってくるときに空間に様々な感動が生まれ、四・五次元の世界へと人々を誘ってくれるのである。
そのことは同時に、居心地のいい空間はその高さの影響をより大きく受けていると言っていいことにもなる。各室について言えば吹抜け天井で高ければ、のびのびとした空間にもなる。反対に低い天井は座る視線で生活する日本人にはとても落ち着き感を与えてくれるのである。
高さと深さ:レベル:ゼロを決めて上に向って伸びる表現は「高さ」であり、下に向って沈む方向を「深さ」と言う。何故?重力界に住まう生物が本能的に知覚できる感覚であるからでもある。空高く伸びていく・飛んで行く尺度は高さである。海底深く沈む尺度は深さである。高さと深さを表現しようとするときに働くファクターが重力であり、水圧である。
高さへの挑戦はスポーツでも楽しめる。重力に対抗する一つの競技である。高跳び・棒高跳び・ジャンプ競技の全てにである。
又、高さからの教訓は時代の変動にも喩えられる:「山高ければ谷深し!」である。
高さは美の象徴でもある。クレオパトラの鼻がもっと低かったら、地球の全面積は変わっていただろう!とパスカルは言った。これに対して芥川龍之介は鼻が少々低くても恋は盲目であるからアントニーはやはり美しいと感じただろう、と。女性が世界を動かす!まさに象徴としての表現でもある。「しかし、現在情報では、クレオパトラの鼻は高くなかったとか?何れにせよ、絶世の美女はどうも鼻が高かったみたいである。(好みの問題であるが)」
限がないのでこの辺でパソコンを閉じるが、水平に目を付けている人間にとって競い合いの原因の一つに、様々な「高さ」があることは否めない。
貴方はどのような高さを競いあっていますか?

   国技館前の太鼓櫓 東京スカイツリーを遠望 3月末に東京タワー333mを超えた

        
摂田屋スカイツリーはNTTドコモ携帯基地局   摂田屋スカイツリーは30m前後?