高田清太郎ブログ

イブとイーティー:人生が二度あれば



エッセイ

forgive(許し) と forget(忘却)
* 4月16日:ハルおばさん(私のお袋の姉さん)が旅立たれた!うららかな陽春の季節に!
今年の天候は少々不順で三寒四温がめっぽうメリハリがついている様に想う。長岡の鋸山も16日は雪化粧である。秩父では40数年ぶりの大雪だと聞いた。しかし、ハルさんを送る18日はとても穏やかであった。例年よりも遅れている桜の開花も始まってきた。苦労されてきたハルおばさんを送るにはとても良い日になった。
人はどこから来てどこに行くのだろう。・・・・・For ever ・ For heven!
人は地上でも天上でも“居場所”がないと生きていけない存在なのである。
ハルおばさんは87歳であった。結婚されて長男が生まれた(私と従兄弟)2歳違いの長女が生まれて6ヶ月目にご主人が突然亡くなられた。それから女手一つで二人の子供を育てながら生きてこられた。2歳の従兄弟が父親の顔は覚えていないのは当たり前なこと。様々なハルおばさんの周りの風景はいくつか伝え聞いたことがある。17日にお通夜式・18日はお葬式であった。懐かしい顔がいくつも重なった。
喪主である私の従兄弟は光夫さんと言う。私にとってはとても頼もしい一年先輩の従兄弟である。そんな環境から彼は小さい時から父親役を強いられていたように想う。

お盆に里帰りするお袋についていくバスは、まさに「田舎のバスはおんぼろ車・ガタゴトゴットン・・・」前川の実家には同年代の子供達が沢山いた。団塊の世代は正に多子であった。それこそ朝から晩まで泥だらけになって遊びほうけていたことを、それほど鮮明ではないが思い出すことが出来る。野球に水泳。中でも極めつけは小学校の時には信濃川の急流を横切って対岸まで辿り着く泳ぐ泳ぎ方を先導し教えてくれた。直ぐ目の前に落水する壺がある。誰も彼も必至で泳ぐ。スリル満点であった。今から想うとゾッとすることも多々であった。
従兄弟はサラリーマンを経験後、脱サラしてクックと言うレストラン起業した。カラオケ喫茶店兼スナックである。ここのマイクがとてもいい。そのマイクを持つとまるで自分の歌唱力がグーンとアップしたように勘違いしてしまうのである。(パウダースノーの上でスキーをする感覚?スキーが上手くなったと勘違いする、そんな感覚????ここではその話ではないが)
ハルおばさんはいつも心配性である。年が行くにしたがって益々、心配性である。親にとっては何時までも子供は子供!60歳を過ぎた息子が帰ってくるまでは、起きて待っている?更に遅くなると道に出て待っていると言う。お客様の関係で息子の帰りが遅くなって日が変わる時も時々である。そんな時には様子見に外に出ては道を遠望する。パジャマの色が白ければ、前川に幽霊が出ると噂されたこともあるそうだ。
従兄弟は言う:年行ったお袋はボケが始まったようである。俺のことをだんなと勘違いしているのかもしれない。しかし、従兄弟は偉い。父親を知らないで女手一つで育ててくれた母親に深い敬愛を持っていることを感じる。
そして出棺直前のご挨拶では、母親が苦労して自分達・兄妹を育ててくれたエピソードも沢山あった。特に女手一つで育てるに当たって、「馬鹿にされないように生きていくこと、同時に、絶対に人から後ろ指刺されるようなことだけはするな。」と言う口癖に耳がたこになっていた。・・と。
しかし、何よりも参列者の涙を誘ったのは次の一言であった。大きな声であった。「おばあちゃん有難う」と式場を大きな声が響き渡り挨拶された。この一言に従兄妹達の想いが集約されており、万感の思いが詰まっていたからである。
そして流れてくる曲は「千の風」であった。「お墓の前で泣かないでください。そこに私いません。千の風になって吹き渡っています。・・・・・」
* 私達は毎日何かに向って生きている:For ○○○である。
突然にやってくる言葉で、空想と妄想と連想で楽しい朝の散歩のひと時が始まる。
私の散歩のコースは上越線と信越線が分岐するあたりである。規則正しく運行される電車は今朝もがらがらである。どこに行く電車なのだろう?昔なら、For Ueno!上野行きか?行き先はForである。
人はどこから来てどこに行くのだろう。・・・・・For ever ・ For heven!
For(に向って)+Ever(今までの日常、いつでも、いつか)=その繰り返しがForever=永遠に!を意味するのである。
「永遠の今」とはけだし名言である。永遠と言うと現在とかけ離れているように感じてしまうものであるがそれが違うことに気づき始める。永遠とは遠く未来にあるのではなく、今の連続である。

* Forにgetとgiveを付けると夫々がForget(忘れる)とForgive(許し)になる。
得ると与えるがForと組み合わされて「忘れる」と「許す」になるのである。共通項は何か?
私達の社会もその原始においては弱肉強食であったから、食物を得るためにはゲット・アンド・ゲットの連続であることが生きる要因だった?つまり、テイク・アンド・テイク!しかし、社会が進み、ギブ・アンド・テイクであることが生命共存の知恵であった。そして、今はギブ・アンド・ギブンから、ギブ・アンド・ギブの精神が必要だと人は言う!
ゲット(得ること)に向って進むと:”忘れる”ことに向っていることになり、ギブ(与えること)に向って進むと:”許す”ことに向うことになる。「許すとは忘却なり!」と言った人がいた。全くそうでないことをこの二つの言葉が教えてくれている。

* そして、ForgetとForgiveの共通項をForgまで持ってくると、組み合わされた単語はEtとIve(本当はEveではあるが)になる。連想妄想は続く。
E.T(地球外生命体)は20年以上も前に上映されたスティーヴン・スピルバーグ監督のSF映画で有名になった。かわいい不可思議な生き物が突然民家にすまい始める。子供達と仲良くなり、どたばた喜劇を繰り返しながら、子供達の協力で UFOで迎えに来た親元に返す感動ある物語である。ETゴーホーム!
魂は飛んで行く。許しの世界へ!与え続ける愛の波間に!Forgive!
E:Extra T:Terrestellaの訳である。E.Tゴーホームは今でも耳の片隅に響く。ハルおばさんゴーホームである。
永久の平安を!
* 小春おばさん!井上陽水の名曲である。ハルさんと重なってしまう。
とても苦労されたおばさんである。人生が二度あれば!がピッタリなおばさんである。斎場から煙になられたハルおばさん。みんなの心に復活された。まさにResurretion!
今、For ever For hevenである。
* 人生が二度あれば。
(再び)井上陽水の歌に“人生が二度あれば”と言うタイトルの歌がある。私はこの詩が好きである。詩はこうである。

「父は今年二月で六十五 顔のシワはふえてゆくばかり仕事に追われ このごろやっと ゆとりが出来た父の湯飲み茶碗は欠けている それにお茶を入れて飲んでいる湯飲みに写る 自分の顔をじっと見ている人生が二度あれば この人生が二度あれば

母は今年九月で 六十四 子供だけの為に 年とった母の細い手 つけもの石を 持ち上げているそんな母を見てると 人生がだれの為にあるのかわからない子供を育て家族の為に 年老いた母人生が二度あれば この人生が二度あれば!

父と母がこたつで お茶を飲み 若い頃の事を 話し合う想い出してる 夢見るように 夢見るように人生が二度あればこの人生が二度あれば人生が二度あればこの人生が二度あれば」

イブはアダムのあばら骨から取られた。神の前に食べてならない善悪を知る木から実を取って食べた。アダムはアダモ=土と言う意味だそうである。土でつくられたのだから土に帰ろう!人はチリから生まれチリに帰るのである。E・Tはどこからやってきたかわからない。同時にFor○○どこに行ったのか分からない。どこに行くのか?For where?
ましてや、死後は誰も分からない。信じる力しかない。

人は土とちりから造られた。息が吹きかけられこの地上で生まれて旅に出る。やがて地上での旅も終わりを迎える時が有る。息が引き取られて土に返ると小さい時に聞かされた。命に始まりがある。始まりがあるから終わりが有る。そして終わりがあるから続きが有る。ひとつの生命が得た知識は、確実にDNAの中で醸成されて次世代に引き継がれていく。見方を変えて見る必要がある。ヒントはホーキン博士の言葉にある。“人間はDNAの運び屋に過ぎない”と。主人公はDNAなのだ。DNAが主人公だとすると人間の位置が良く見えてくる。DNAは永遠の旅をするのに乗り物が要る。生物の身体なのだそうである。人間を主人公にして不老不死を求める旅の見方からは決して考えられないことでもあった。
人生はDNAの運び屋をする事で完了する。地に種を落として死なねば穂は出ず。二度はないのである。
目に見える父母は去っていく。私達も去っていく。そして目に見えない父母はメモリーとして益々近くに居ることになる。

アダムの連れ合いイブによって人が生まれてきた。

E・Tは実はDNAなのかも知れない。

            満開になるさくら 風になってさくらを吹き渡る    ハルさんの様なスイセン