水交流!水の辺に人達は集まり、そして語る!
エッセイ
リプチの森からリポート:カスケード〔水門柱〕はコミュニティーの活性化に一役買ってくれている。
人類は川の流域に集まって生活してきた。
4大文明もナイル川、チグリス・ユーフラテス川、インダス川、黄河の大河流域で発生している。川は山から運ぶ土砂によって作られてきた。肥沃な土地の誕生である。そこには多くの生命が生まれ育ってきたのである。
日本一の信濃川、ここにも豊かな穀倉地帯が生まれ育った。大河から小川まで流れる水は同じ水。一大穀倉地帯である越後路の豊かな恵みは正にその信濃川にあるからである。
そして、作られる作物は“水稲”である。美味しいコシヒカリ米も水がつくるのである。正に水の中に田植され、朝晩の“水の見周り”は農家の人たちにとってはとても大切な管理仕事でもある。
今年は低温の影響で苗の生長が遅れている。農家の人々は異口同音に今年の不作を先見する。
美味しいお米を収穫するために“コシヒカリは5月の連休明け・10日以降と指導されていたが、それでも肌寒い日も続き、延ばし延ばしに6月にまでずれ込んだ。それでも根付かない田圃は一旦ご和算して植え替えるところも出てきた。温度と水は必要不可欠の条件であった。何気なく毎日頂いている美味しいご飯はとても天候に微妙に左右されているのであった。
突然の入梅宣言:13日から梅雨入りしたと天気予報士はテレビで何度も伝えていた。5月下旬と6月の上旬には雨らしき雨の記憶がないので、余計に突然なにさ感をぬぐえない。それらしき気配がないと、このまま無いのではと勝手に思ってしまいがちなのは、私だけではないとは思うが。
じめじめした、時に気を滅入らす雨が生命にはなくて成らない存在だということを時々忘れているような気がする。アジサイが艶やかな舞いを奏でる季節になった。
人間の身体も70%は水分だといわれている。
“命の水”は蒸発・降雨の繰り返しで循環している。そんな命の水も時に大暴れすることがある。4年前に新潟県内を大暴れした大水害を忘れることはできない。
屋根に降った雨は速やかに地面に戻す必要があると同様に乾燥しなければならない時期の田圃に水は不要。田圃の水も速やかに排水しなければなら無い。水が単に大切なのではなく、必要なときに必要とされる水量が大切なのである。
小さな用水から落水する風景は散歩する私を楽しませてくれる。落差が大きければ落水音も大きく私の耳を楽しませてくれる。さわさわとせせらぐ小さな音も心を和ませてくれる。
この落水風景と落水音の魅力を新しい町づくりの時に取り入れたいと長い間思っていた。
幸いにも弊社本社の地元(摂田屋5丁目)で分譲土地が取得でき、48区画の分譲開始で始まった。現在までのところ37区画が契約された。残り11区画である。好評販売中である。(好評販売中と掲げてある看板を見るたびに、好評なら看板も要らないだろうに?と思うのだが・・・・)
間知のネーミングは「リプチの森」である。
このリプチの森に一つの仕掛けが施されている。
メイン通りであるリプチ通りに19箇所の水門柱〔落水柱〕を設けることにした。
リプチ通りは緩やかにS字にカーブしており水門柱からは時間を決めて放水される。
水源は井戸水〔元自動車学校の時に使われていた消雪用井戸の再利用〕である。
時を告げる水でもある。現在のところ、10時・12時・15時・18時の4回タイマーセットされている。夫々15分間だけの放水である。〔時間も間隔もリプチの森組合によって自由自在に変更できるのであるが。〕
冬には道路に埋設された消雪パイプにバトンを渡すが、春・夏・秋には時間が来ると人たちが外に出てきて会話を交わすコミュニティーの仕組みづくりでもあり、さながらリプチの森の風物詩と言ったところである。
特に夏は子供達の水遊びの場所として格好の居場所であり親達にとっても井戸水はスイカを冷やすのに天然冷蔵庫の役目を果たしてくれたり、樹木や草花にはとても貴重な水源にもなってくれている。
水門柱の下には様々な桶が置かれている。所謂、時間に左右されずに自分の時間で利用できる水貯めの出現である。
普段は住宅・室内で生活している人々も水の音が聞こえてくると誰彼と無く集まってくる。水を汲む音。やがて、挨拶を掛け合い、会話が始まり、賑わいの輪がどんどん広がっていく。
いつでも流れているのではなく、15分という比較的短時間に決めて流れるから、集中して森人たちは集まってくる。(我ながら良い仕掛けだと一人ほくそ笑むひと時である。)
まさに、水がコミュニケーションを作り豊かなコミュニティーがつくり上げられていくのである。活気はまちづくりになくてはならないものでもある。
19箇所の水門柱から落水・放水されるから森人たちにとっては充分な水利権が確保されていることになる。
そのうちの一箇所がリプチの森の中心に位置する公園に設置された水門柱である。水門柱から流れた水は蛇行して池に溜まる。オーバーフローした水のみ排水されるのである。
この春に、この池の管理をどのようにして行こうか管理組合の役員さんと話す機会があった。たまり水が腐ってボウフラが発生している。水のたまらない池には出来ないだろうかと?継続監視しながら今後の対応をしていくことに決まった。
なるほど朝の散歩で池の水の汚れ度チェックをすると直ぐにでも排水管を開放させなければならないと思うのである。
しかし、水門柱から流れる時間帯に公園に出かけて行くと、子供達がその池でわいわいがやがやで集まっていた。どうしたのか聞くと、おたまじゃくしがもう直ぐ“かえるにかえる!”といってはしゃいでいるのである。
掃除しようかと思うと言ったら、“だめだよ~!”と一蹴されたのである。
親と子供の視点の違いを上手く調整してくれる調整弁の役目を池はしてくれているのかもしれないと痛く考えさせられた。
一度この時間にリプチの森を覗いてみて頂くと百聞一見である。貴方にとってもきっと水は楽しい何かをそれ以上に教えてくれること間違いない。癒しの音風景も楽しむことが出来る。
飲料水としての水から落水音としての水まで、含めてDNAは敏感にその素材をキャッチしているのである。
* 音の風景:温泉街のアプローチには独特の川の流れに乗せてせせらぐ癒しの音がある。
* フランクロイドライトの落水荘は傑作中の傑作である。
* ルイスバラガンの厩の落水音。
* 住宅博展示場として参加した新潟市新通りプラッツのW&W
* 水の音は癒しの音である。人々を集める力を持っている。
田圃に汲み上げられる水・用水から落ちる水・小さな用水が集まって小川になり大川と成る。様々な音を奏でる。 落水開始に人たちが集まる 水門柱は植栽に貴重な水源 葉っぱに溜まった水で行水する虫君達
公園の中を流れる小川 一旦小川の水は池に溜まる 池にはかえるにかえるおたまじゃくしが沢山