高田清太郎ブログ

わっしょい わっしょい 祭りだ わっしょい!



イベント

町内祭り  「十年はひと昔 暑い夏  ふるさとはふた昔 夏祭り!」

弊社:高田建築事務所の前身は現在のタカモク( 旧:高田材木店に遡る)である。
現在地:新潟県長岡市摂田屋5丁目である。
最初に材木店を開業したのは私の親父であり、現在は会長の役職についている。主に山から木を出して来る。そしてその原木を製材し販売していたのである。今年で60年目を迎えた。又、親父の先代は私と同姓同名のおじいちゃんであり、農家をしながら山の木を扱っていた。と言うことで、木を扱って私で3代目と言うことになる。
当初の開業地は隣接する曲新町であった。我が家の隣には神社があった。赤城神社〔群馬県の赤城山をご神体とする、山岳信仰に端を発するらしい?〕と言い、周りは田圃と畑であった。隣の家まで50mは離れていた。現在は上越新幹線で視覚を分断されているが当時は・田畑越しに東山が一望できるとてものどかな処であった。
隣の神社は親にとってはとても躾ツールとしては大変重宝していたみたいである。兄弟喧嘩したり、親の言うことを聞かないと、時々(しばしば?多々?)この神社に勘当されるのである。
神社は昼間には格好の遊び場であるが、夜になると暗く二十Wの白熱灯が妙に恐怖心を煽り立てるのである。
喧嘩両成敗であるから勘当となると兄弟二人で受ける事になる。お互いの喧嘩も共通の敵が現れたことで一次仲直りして共同戦線を張ることになる。
今日は絶対に家に帰らないからな!と:当然、神社の内陣の建具は閉まったままであるから庇のかかった階段部分に腰を据える。欄干につかまりながら強がりを言った先からフクロウが鳴き始める時刻になると途端に降伏である。「もう二度としないから」を合言葉に玄関の鍵が開錠される。
7月28日は年に一回やってくる村祭り!神社はお祭りの主役であるから、参道には店も沢山開かれ、集まる浴衣姿は一段と華を添えてくれている。
境内の中では我が家と接する南側に演芸用の仮設舞台が作られる。理由はあった。その夜、我家は演劇出演者たちの着替えの更衣室になるからである。
夕刻も7時を回ると出し物演芸が始まる。時々、花火も上る。ボロッチイ家ではあったが、そんな家を使われることには、幼心にも誇りを持っていたような気がする。
今年も若い連中の神輿を先導する役割を仰せつかった。先導と言うよりも昔の住んでいた関係から、顔見知りで知っていたから、ご祝儀集めにとても便利な人間になっているからである。
子ども会の父兄は子供が小学校を卒業すると出てこなくなっている。数年毎に顔が変わるが、こちらは変わらない。今年も暑かった。そろそろ卒業を申し立てるのであるが中々許可がでない。
それでも、今年開設したサポートセンター摂田屋さまの入所様の歓迎してくださる姿を見ると、又来年もやらなければと肩の力が入ってしまうのである。
その昔は、境内には少年相撲大会の土俵まで作られていた。夫々の親達の応援を受けて闘った想い出は、とても温かいものを今でも覚えている。懐かしき「オールウェイズ3丁目の夕日」であった。

井上陽水の「夏祭り」は丁度そんな風景を醸し出してくれるから、私は大ファンである。
1. 十年はひと昔 暑い夏  お祭りはふた昔 セミの声
思わずよみがえる 夏の日が  ああ今日はお祭り 空もあざやか
2. 自転車の後ろには 妹が ゆかたきて すましてる かわいいよ
もらった おこずかい なくすなよ ああ 今日は おまつり 早く行こうよ
3. 綿菓子を ほおばれば 直ぐとける 友達もみんないる 笑い声
道には並ぶ店 オモチャ売り  ああ 今日は おまつり 何を買おうか
4. 十年はひと昔 暑い夏  ふるさとはふた昔 夏祭り

その境内に2本の大木:ケヤキの木があった。
二本とも樹齢100年はゆうに経っているだろう貫禄ものである。
しかし、この二本には対照的な育ち方をしている。
方や北側の一本は素直に真っ直ぐに立っている。とても気持ちが良い!他方南側の一本はかなりのねじれを持ちながら立っている。味わいがある姿である!
我々が勘当された時から50年以上が経った。二本のケヤキは自分の個性を無くすること無しに今も確りと立っている。
人生もおんなじである。個性があるから存在意義がある。
巣舞づくりも個性を大切にしたコセプト作りから始めることがいいに決まっている。

* 8月2日・3日は日本一の長岡花火大会である。二日間で2万発の打ち上げである。
50年前の花火からかなりの進化を遂げている。個性ある花火の競演である。
今年は長岡花火が上って以来の最大の寄付金が集まったと言う。元気に上って欲しいものである。
前述したように、今年弊社は“巣舞るメッセージ”と称した住宅見学会の開催を500回目を迎える予定である。そこで感謝と感動をお届けする意味で長岡花火を上げることになった。ベスビアス超大型スターマインである。
8月3日〔火〕19:54に打ち上げである。是非とも声援を送っていただけると大変有り難い限りである。
古来「祭り」と「政」は同じだったと聞く。人々が集まり、収穫を感謝する、捧げものをする。そのことをつかさどっていたのが政であるとすれば切り離すことは出来なかったのであろう。

*ウィキペディアによれば:長岡祭そのものの起源は1945年8月1日の長岡空襲からの復興を願い翌1946年8月1日に行われた戦災復興祭であるが花火大会の始まりはこれとは別で1879年9月14日と15日の2日間、千手町八幡様の祭りに長原などの遊廓関係者がお金を出し合って花火350発を打ち上げられたのが始まりと言われている。その後、本格的な花火大会となったのは1906年からであり現在の「長岡まつり」という名称になったのは1951年のことである。

      鳥居を挟んで立つ二本の欅   ねじれて育った南面の欅  製材すると玉杢が出て来そう

   サポートセンター摂田屋様の交流施設前で神輿廻し。デッキで観る入所者はとても生き生きしていた!


神輿隊も施設内に暑さ隠れ!

    最後は弊社の前でわっしょいわっしょい!さーて一服だ!      もう一度最後の仕上げの神輿まわし!