高田清太郎ブログ

あつい・暑い・熱い夏!



エッセイ

「You might think but today‘s hot fish!」

時は今より遡ること43年前、私が高校2年生の時である。当日も大変暑い日であった。英語のY先生は何時ものように教室にやってきた。何も言わずに黒板に向っておもむろに書き始めた。「You might think today‘s hot fish!」
書いているときに、嫌な予感がした。マイト(might)とシュッド(should)とウッド(would)なる単語の入った文章を当時の私としては余り得手ではなかったからである。
先生は書き終わるなり、これを訳して下さい。と!・・・・・・誰も手が上らない。一橋大学を目指していたE君の手が上らないから私がわからなくても当然!と安心しきっていたら、かかってしまった。当然分からない。君達はこんなことさえ訳せないのか?進学は諦めろ!???
そして、先生の訳文を聞いて、何じゃこれ?であった。
You〔ゆう〕 might(まいと) think but(思えど) today‘s〔きょうの〕 hot(あつ) fish!(さかな)が答え!とにんまりするY教諭。
「言うまいと思えど今日の暑さかな」
この文章は確りと脳裏にプリントされており、暑い暑いと言う自分に「You might think today‘s hot fish!」と答えているからプリント力はかなり強烈である。

*長岡の暑い夜:
長岡市は終戦の年の8月の1日22:30から約二時間にわたってアメリカ軍の爆撃機により大空襲を受ける。1476名の尊い命を失った。爆撃機の数は124機で、投下爆弾量は924トンにも及んだと言われている。焼夷弾数にして163,456発だったと聞く。
焼夷弾は日本本土を空爆するにとても効果的な爆弾であったと聞く。油が入っていて爆発と同時に木造家屋を焼き尽くす仕掛けである。
お袋は長岡花火を観ると、いつも口癖のように言う。前川町から空爆を受けている長岡市中心部を見ていると、丁度スターマインの花火のようだったと言う。
長岡祭りはその鎮魂行事として8月1日の22:30に3発の花火を上げている。続く8月2日・3日は二日で2万発の花火を上げて戦争の記憶を残している。一日に換算すると1万発である。長岡空襲で投下された焼夷弾数は、なんと!16倍にもなったのである。そう考えると、その凄さには驚嘆する数である。
8月6日に広島に原子爆弾投下:8月9日に長崎に原子爆弾投下:多くの尊い命が失われた。
戦争は絶対に避けなければならないこと!そして、それを後世に言い伝えなければならないことである。

* 長岡花火の上る両日にもう二つの熱い熱い(暑い暑い)情報である。
長岡大花火大会の行われた8月2日・3日に弊社でも二つの講演会と研修会が開催された。
1. 8月2日:第七回APM大学講座が秋山孝ポスター美術館長岡において開催された。
2. 8月3日:第89回一水会〔4月・8月・12月の第一水曜日に開催される社内啓蒙活動勉強会〕が開催された。

* 8月2日:第七回APM大学のテーマは「中越地震からの創造的復興」と題して、新潟県新発田振興局地域整備部参事の渡辺斉建築課長さまから基調講演を頂いた。
渡辺参事は2006年10月23日に発生した中越地震の復興官として長岡市でご活躍くださった。当時のことを周りから聞くと、胃に穴が出来るくらいハードな職務を遂行してくださった。だから、ご講演の内容には切迫するものを覚えた。加速度2500を超えたとは凄いことであった。
発生当日:情報把握と緊急対処は山古志村民全員をヘリコプターにて大移送劇から始まった。
山の崩落・土石流・川の氾濫・川が堰き止められ湖ができる。人家が水に埋まってしまった。
大惨事!言葉で表せない地獄絵でもあった。
振り返ってみるとアっという間の出来事であった。しかし、渦中では一日一日が復旧・復興の連続である。
全国から多くの方々の温かいご支援で復興を成し遂げた。感謝である。正に創造的復興であった。

渡辺斉元復興官殿:お疲れ様でした。
秋山先生からは、渡辺さんの基調報告の後に「グラフィックデザインポスターを通して地震によって何を学び、何をしてきたか?そして何を伝えなければ成らないのか?」をご自分で制作された作品を通してご紹介してくださった。
ポスターは単なる絵とは違う。コンセプトを確りと持ち、一枚のポスターで伝えなければならない。

地震も発生歴史のお話から始まって何時ものように熱い、熱いお話である。先生のお話はどんどん深く、深く掘り下げていかれる。敬服いたす次第である。

* 8月3日:第89回一水会〔4月・8月・12月の第一水曜日に開催される社内啓蒙活動・勉強会〕が開催された。
プランタゴ・田瀬理夫先生による「建築とランドスケープ」と題してお話いただいた。
最初にご紹介された言葉は田瀬先生の先生であられる斉藤一雄先生の言葉であった。
「優れた景観は日本人の情念のルーツを形成した。景観の主軸は地形と緑である」
そして田瀬先生の自己紹介から始まり、「今」をどう認識するか?プランニングやデザインをする上での田瀬先生の現状認識のお話を頂いた。
新たな水源をつくる。地球の卵(OMソーラーの本部社屋:設計は永田昌民氏)の話し。
現代町屋のお話し!
林業再生:馬頭プロジェクト・アゼターセの事例を通してお話いただく。
5X緑〔五倍みどり〕
都市の緑では:都市のエコロジーの復活を目指す一連の環境建築をアクロス福岡を事例として取り上げお話くださった。年と共に成長する建築である。
廃棄物デザインでは:既存コンクリート解体ガラや根伐土を敷地から出さないデザインはとても実務的なアイディアである。

流域の再生:都市環境形成と里山保全活動の連動により流域を再生する試み「畑プロジェクト」のご報告があった。

私共でお手伝い願ったプロジェクトは二題:

1. サポートセンター摂田屋様〔リプチの森の中に完成した福祉施設〕の外構デザイン・造園・植栽関係
2.マイシップ・巣舞(長岡市前川東地区住宅博参加作品)の外構デザイン・造園・植栽関係
幸いに両方とも初めてのコラボでありながらかなり上手く進んだ。

庭を造るときに心がけていることは、その大小に関係なく、まず、窓から何が見えるか?窓から何を見るか?はとてもユニークな視点である。決して外から見えることだけを前提としない。

小さな庭の場合には特に地面のレベルがとても重要である。部屋の床や外のデッキと同じかそれ以上に高く上げて、地面を見下ろさないようにすると広がりが出ることを本二題では実践してくださった。

そしてもう一つのこだわりがあられる。地産地消である。その地で育っている樹木やその土地から取れる石材などを使うことである。

* 「暑い、暑い夏」は同時に「熱い、熱い夏」であった。
そして、甲子園球場もとても熱く燃えていた。

新潟明訓高校が西日本短大付属高校を破って8強に進出:新潟県として二年連続8強は初めてのこと!
いい試合だった。1:0で接戦であった。4強・連続2強も夢でもない。頑張れ新潟!

   第七回APM大学開講         渡辺斉さまをお招きして秋山孝先生と対談をして頂く!地震談義はネバーエンド

 最後に記念写真はバックに秋山カラー!

        プランタゴさんとコラボしたサポートセンター    ご講演は聴衆を放さない    秋山先生も熱心に聴講

    アクロス福岡は建物全体が山の森となって都心に新しい顔を創った!そのほか先生の実施作品はとても刺激的だ!