感動100分!言葉にならない感動時間!
エッセイ
わ~~!お~~!すご~い!ナント!What!How!こりゃなんじゃ!ギャー!キャー!何という花火だ!言葉にならない観衆の感動シーンである。100分の連続である。連続すると吐息にも似てくるから不思議である。
我が社も昨年に引き続き長岡花火に参加した。ベスビアス超大型スターマイン!今年のテーマは「育夢創造」である。スマイル君の後に青葉の成長を型花火で表現したものである。
8月3日(水)二日目の午後7時56分打ち上げである。二年目なのに昨年よりも緊張している一瞬であった。昨年と同様100m近く離して二か所から同時打ちである。徐々にではなく一気に打ち上げるのである。最初はカラフルな花火からシルバー玉に変わり5寸・7寸・10寸と段々大きく打ち上げていく。最後は音だけのカヤブシである。このカヤブシは昨年よりも多く打ち上げることにした。夜空に見事に輝き一瞬の饗宴であった。長岡花火の基本は勢いであった。その勢いをなくしたくなかった。嘉瀬花火師さんと打ち合わせしての打ち上げであった。
7.30水害で危ぶまれた今年の長岡花火も、結果としては無事に開催され多くの観衆を堪能させてくれたが、その決断や準備には大変な心労を使われた人々のお蔭様である。
TVでは全国ニュースで下越地区の氾濫した信濃川を何回も映し出していた。その信濃川での花火大会である。県外の皆様からは集中豪雨に対してご心配の電話やメールをたくさん頂いた。長岡花火の話題さえ出なかった、その三日後には打ち上げである。
7月30日にはすべて冠水した信濃川の河川敷での打ち上げであるから、開催寸前まで決断を迫られた花火大会である。7月31日からは晴れあがったのであるが水が引き観覧席は土砂で埋もれてしまった。特に左岸である西側である。長岡市の命令一下で建設業者関係を中心に集められ、堆積した土砂を運び出す作業が昼夜兼行で行われた。もう一日雨が続いていたら多分長岡花火は見送られていたと思うぎりぎりの境であった。まさに危機一髪であった。
また、花火二日目の8月3日は朝から天気が良かったのに午後の4時ころから突然の土砂降りである。雨の中、観る方も打ち上げられる花火も可哀そうである。両日で80万人以上が観覧する花火大会だけに何とか晴れてくれることを祈った。
幸いなことに打ち上げ1時間半前には晴れあがった。空は澄み切った青空!まるで本番前の露払いの様であった。
長岡花火は毎年様々な人と観ることにしているが、会社で上げる様になってからは確りとまとまった席を予約してスタッフ家族・知人・招待客様と一緒に観ることになった。昨年の評判が良かったのか、昨年参加したスタッフはほぼ今年も参加であった。
今年のお客様は大学時代の私の恩師であり、昨年開催された巣舞の見学会500回記念シンポジウムのパネラーになって頂いた斎藤公男日大名誉教授ご夫妻である。斎藤先生は世界各国を飛び回っておられる方なのに長岡花火を観たことがないと言う。それでは!と言うことでおいで頂いた。超多忙の先生である。前建築学会の会長もやっておられた関係で会議と会議の狭間でご覧いただいたのである。そして、観ていた時の先生の感想は?「どう表現したらいいのか言葉にならない」「お~~」であったという。
もう一組は見城美枝子さん(元TBSアナウンサー・青森大学教授)と叔母様であった。78才のおばさまは、一度は観てみたいと思っていた花火だったので大感激であった。見城さんは2年ほど前に娘さんとご一緒に観られていたが、電話で長岡花火で当社も上げていますと言ったら、時間が合えば是非と言うことで今回の来岡になった次第である。
そして、昨年に引き続き秋山孝多摩美術大学教授(秋山孝ポスター美術館館長)である。昨年に引き続き「高田建築事務所と愉快な仲間」が打ち上げる時には、全員起立:三々七拍子の音頭をとってくださった。長岡出身の先生にとっては観るのが当たり前!丁度、この日の午後はAPM美術館大学校が開催されていた。今回で12回目になった。講師は豊口協長岡造形大学理事長様である。「夢を抱いて明日に希望を!」先生が歩んでこられた歴史(大阪万博・つくば科学博等)を振り返りながら「参加者に激激を飛ばしておられた」
そして、昨年APM大学校の講師にもなって頂いた時から楽しみにしておられた牧野圭一京都造形大学教授ご夫妻であった。京都からおいでであった。宿泊は100km離れた湯沢で予約であったとのことである。
更に、斎藤先生が来られると言うので急遽参加された山下秀之長岡造形大学教授・奥様の真理子さんであった。
我が家の親戚関係者も多数参加してくださった。元気が出る観覧席になってくれた。
来年に向かって高田建築事務所と愉快な仲間たちとで募金集めをしていこう。
多くの方から「見たよ!」「良かったよ!」とお声かけていただくと今年も打ち上げてよかったなと強く強く思った。
大型花火が連発されるが、なかでもフェニックス花火(中越地震からの復興を願って翌年から打ち上げられている。8月1日には東日本大震災の復興を記念して長岡市からこのフェニックス花火が石巻市に贈られている。)と天地人花火(NHK大河ドラマで越後の武将上杉謙信公の軍師である直江兼続を記念して打ち上げられる:愛と雪)である。総合 プロデューサーは加山雄三の長男である池端信宏である。今年も素晴らしで振付であった。時間にして3分弱ではあったがかなり長く打ち上げられていた様に錯覚してしまっている。
この日にはホノルル市長が長岡においでになられて長岡花火をご覧になられた。この前の大戦の始まりのそもそもはホノルル市を日本軍が急襲したところから始まったのである。リメンバー・パールハーバーと時ある毎に突き付けられた言葉であり、事実私たちもネバーフォアゴット・パールハーバーである。長岡と姉妹都市になることが公表された。長岡市長の花火開始ご挨拶の中に長岡花火は日本一ではなく、世界一の花火だと言いきられていた。今年3月に揚げる予定であったホノルルでの花火は地震で津波がやってきて中止になったが、近いうちに再開しようと言うものであった。)
折しも、大林監督による「この空の花:長岡花火物語」のクランクインが8月1日の長岡祭りの民謡流しから始まった。2日3日は長岡花火撮影。5日には左近の土手(原爆の模擬爆弾が落とされた地)でロケが行われていると言うので長岡花火を観に来た妹親子と同行した。なんでも姪は今回の主演女優である松雪泰子さんの大ファンと言うから神奈川から来た甲斐もあったと言うものである。
橋の上でロケ風景を見ている姪。スタンバイして歩いてくる松雪さん目と目があって、声をかけファンであることを告げると握手してくれたと大感激していた。
私と妹はちょっと橋の反対側の欄干に腰を下ろしていたのでそのタイミングに出会うことはできなかった。通り過ぎた時の横顔しか見ることが出来なかったが。東野圭吾著の“容疑者Xの献身”の主演女優であった。とてもナイーブな演技の出来る方であり、私も隠れファンの一人であったから余計にうれしかった。
何れにせよ、長岡花火の歴史を多くの人から知ってもらうためにもクランクアップするまで約50日間暑い中を格闘されるスタッフの皆様の御健闘を祈念するものである。そして、素晴らしい完成版が届けられんことを!楽しみにしている。
8月2日はご招待を受けて屋形船に乗せていただいた。
3日前まで濁流が流れていた信濃川の真っただ中である。川面に近い分わくわく感もぬぐえない。
長者盛りの新潟銘醸さんの日本酒:メダカの宿は飲みやすいので、ついつい多く頂いてしまった。酔いにつれて、メダカの学校のメロディーが信濃川の中と私の頭の中で流れていたようである。
今年も高田建築事務所と愉快な仲間たちが打ち上げるベスビアス超大型スターマイン:育夢創造打ち上げ開始です!
8月2日は屋形船に招待されて!雨上がりの川面近くで花火を堪能した! 日本酒メダカの宿を勧められるままに!
秋山先生・見城先生そして叔母様 天地人花火の打ち上げ開始 斎藤・見城・秋山・牧野・山下各先生
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打ち上げ前の専務(飲み始め) 天地人花火が調子を上げる。 打ち上げ前の専務(沢山飲んだ時)
弊社スタッフ:花火打ち上げ前の夕食 弊社美女軍団:1 弊社美女軍団:2
打ち上げ前の楽しいひと時 ・・・いよいよ打ち上げ開始です。
しばらく天地人花火をご堪能下さい。
バックミュージックと共に打ち上げられる花火の饗宴!
ナイアガラ瀑布と3尺玉も花火の華!
花火終了後に長岡駅に向かう帰路の人々(大手通りアーケードした)
左近の土手で撮影が始まる: 仕掛けは大掛かりである。
撮影現場を魅入る妹と姪(姪は松雪さんの大ファン)と横切る松雪さん!
本物の運転手さんは炎天下で演技終わるのを待つ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・演技する運転手さんはテントの中