高田清太郎ブログ

誕生・成長・破壊・再生リザレクション



エッセイ

久しぶりに会った友人の子供がとても大人になっていたのにはびっくりである。
他人の子供の成長は早く感じる。誰もが経験することである。
毎日継続してみていると成長の度合いが分からない。しかし、時間をおいてみると変化の大きさにびっくりもする。当たり前と言えば当たり前であるが。
子供と言っても30歳過ぎである。しかし、私の思い出の中の友人の子供は中学生のままであったから、あれから20年近くになっているのである。二人連れで買い物している後姿を見ていると、とても不思議な気分に襲われる。背の高さもお父さんを追い越してしまっている。もうすぐ孫が生まれると言う。
タカダのところは?と聞かれるので、孫は一人!そろそろ二人目かな!それにしても孫はかわいいものだよ!とちょっと先輩面と先輩トーンで話してしまっている自分が何故か可笑しい。
高校数学の微分・積分・いやな気分!ではないが、時の流れとそれに伴って変化する姿を微分していくのに似ている。限りなく変化の時間を小さく分けて、その間に変化する量の比率を取るのである。その変化はなだらかに、フリークエンシーである。それに反して一生涯に20年単位で会ったとしたら、まさにカタストロフ感に襲われるだろう。
そして履歴が積分されて生涯アルバムがつくられるのである。
突然:Suddenly!の“Sud”は“ぽっくり病:Sudden death”の意味である。
コツコツと思いを込めて育てた“もの・こと”も破壊は一瞬である。
3.11東日本大震災+大津波はカタストロフその最たるものである。半年になろうとするが復興は半ばどころかまだまだ入口!それだけ大きなダメージを受けたのであるから当然と言えば当然でもあるが、一日も早く被災された方々の想いを成就してほしいと祈念するものの一人である。
この度の地震は1000年に一度とも言われている規模であった。大陸プレートが毎年少しずつであるが移動して1000年経って溜まったひずみが崩壊したのである。コツコツとたまったものがコツコツと発散するなら大丈夫なのだが、一瞬に発散したのであるから大事である。
商取引でもそうである。信用をつくるには長い時間がかかる。コツコツと!まさに千里の道も一歩から!である。反して、信用を無くするに一瞬間あればいい。と言われている。
育てつくり上げていくには大変なエネルギーを費やすが壊す時間は一瞬である。人間のはかなさを想い、わび・さびも生まれてくる。
世界にはさまざまな気候風土が存在する。日本の四季は住む人々の心を育むにとても豊かな土壌であると言われている。確かに気候風土が織りなすものと言われた時ほど似つかわしいのが「わび・さび」である。
加えて、日本の天変地変が織りなす思想観からこそ“わび・さび”が追及されてきたと言っても過言ではあるまい。
稲穂が日一日と実をつけている。そろそろ刈り時だ。毎朝の散歩ではその変化は見わけられないが、ひと月単位では大きな違いをキャッチできる。
10cmくらいの苗が1m近くにもなるのである。5月中旬に植えられた苗が9月中旬には刈り入れを待つ。4カ月で90cmも成長するのである。その成長は平均して日に8mm前後にも達する。しかし、毎日の変化が気に止まらないから不思議である。
早速、恒例となった稲穂の数を数えてみた。一回目に数えたのでは169粒もあった。昨年までの平均は123粒であるから、まだ一回目と言えど、今年は豊作の印を頂いた。刈り入れが楽しみである。恐る恐る二回目の数えチェックでも167粒であるから、今年はすごい。
刈り入れ時にやってくるのが台風である。雨台風となれば最悪である。折角実を着けた稲穂が強風でなぎ倒され雨田に横たうのであるから味覚は落ちるは農作業ははかどらないダブルパンチである。台風12号は本日(9月4日)の段階では四国・瀬戸内海・中国地方を通過して日本海へ抜けていくようである。北と大陸に張り出した二つの高気圧に進路はふさがれ、時速10kmと言う速さの雨台風は各地に雨水害を起している。雨は水稲・稲作地帯の恵みと試練の両刃の剣である。
それにしてもおいしいコシヒカリを多くの人に提供したいと願う農家の皆様には感謝である。

今年の夏のもう一つの成長の楽しみはグリーンカーテンである。
グリーンカーテンと称して植えた朝顔とゴーヤの成長はもっとめまぐるしいゴーヤの実も日一日と成長している。朝顔に交えて植えたゴーヤの収穫はこれから続く。
正確に測ったわけではないが朝顔の成長に至っては日に20cmも伸びたかのように錯覚するほどの成長スピー度である。

成長と刈り入れは良い関係である。それと反して成長と破壊は歓迎できない。しかし、歓迎しようがしまいが現象としては沢山あり避けることが出来ないことも多々である。
バイブルに農家の人がせっせとブドウ畑を作りこんだ。収穫時になったら酸い葡萄酒であった。と書かれている。期待される人々の成長。反して期待する収穫が望めない人々の想いと行動に警鐘を鳴らすのである。種を播くものは豊かな収穫を想って作業するのである。

今年はアメシロが大発生した。アメシロは年に2~3回卵を産むらしい。大発生の理由は良くわからないが天候が大きく左右していることは確からしい。自然界の成長と淘汰はごくごく当たり前のことであるが。
さわさりとて、折角緑々と萌え咲かった葉っぱが一瞬にして葉脈だけを残して葉の骸骨を作るのであるから「憎らしきかな:アメリカシロヒトリよ!」である。
町内では希望者に年に二回予防薬を散布するのであるが、今年はその時期が早められた。あの大木が一瞬のうちに食い荒らされるのである。
勿論それによって木が死ぬわけではないが、葉が枯れると死に体の風景を作ってしまっていることが残念である。
それでも食い尽くされて枯れた葉のついている枝先から新しい芽が出始めてくるのには感動ものである。更に、アメシロで一気に枯れた葉が再生するスピードの速さには目を見張るのである。
生命・再生・復活と言う不思議な感動である。
人間もけがをすると治療を受けなければならないが、時に自然治癒力の大きさに愕然とするときもある。
誕生・成長・破壊・再生と大きなバイオリズムの中で生命は育まれているのである。

先日(20110828)、茶道 裏千家淡交会の定期巡回講演会に誘いを受けた。
演題は「高麗茶碗について」であった。講師は赤沼多佳先生であった。
高麗茶碗の歴史から日本人向けの茶碗の話を頂いた。①見立てられた茶碗(韓国人のために作られた茶碗)②日本向けの茶碗を話された。
例えば、韓国人は井戸茶碗の中に観るわび・さびのテイストを決して理解することが出来ない。なぜか?日本人向けに作られたからだと!
茶碗は他国の作品であるが、日本人の文化である。しかも、日本人しか伝えることのできない文化である。(この講演会の件は又後日にして!)
知らなければ感動できない。感動しなければ伝えられない。伝えなければ伝わらない。
今日も新しい生命の誕生を喜ぶと共に豊かな成長を心から祈るものである。

   たわわに実った稲穂たち!         数えてみてください。169粒・167粒   いよいよ稲刈りが始まった!

   アメシロがたかり始めたと思ったらみるみるうちに食い尽くしてしまった。柿の葉や桜の葉は大好物!

                 それでも先から新しい葉が!  スピーディーなリザレクション!             ノアの箱舟以来「虹」は約束の象徴である!

   赤沼多佳先生による「高麗茶碗について」では新発見があった。 井戸茶碗のわびさびは日本人にしかわからないという?

                ついにグリーンカーテンからの収穫が始まった。                     見事になったゴーヤに神林女史もご満悦!