朋あり遠方より来る、また楽しからずや!
エッセイ
今日は友人の話をしたいと思う。
*ひとつ目の話は:20110917(土):長岡市立宮内中学校3年の時の同級生が新潟大学工学部機械システム工学科 教授になったお祝いに有志が集まったおはなしである。岩部洋育君である。同級会が10月30日に予定されているがこの日には来れないと言うことなので少人数ではあるが急遽9月17日の設定になった。
24年前に准教授(当時は助教授)になったのであるが、中々ポストが詰まっていて長い時間を待たされたように思えた。
准教授から教授になったら花火を上げてお祝いしようと言う企てが24年前に予定されていた。准教授は三文字であるから3時にかけて、教授は二文字であるから2時にかけて、午後2時と午後3時に花火を打ち上げようと言うものであった。
しかし、少人数の6人でも日中に一緒に集まると言うと日にちが決まらない。そこで午後の2時と3時は断念して2×3=6(勝手な理屈と思い込み)で午後6時に二発上げることで本人からはご了解いただいた。花火の種類は昼花火で4号と5号である。勿論、花火打ち上げ届け出をしての打ち上げであった。
この年になると先生と生徒の区別が分からないくらいになっている。中学3年の時の担任の先生は谷畑敏先生である。数学の先生である。先生の授業は黒板に定規を使って書かれるようにきちんとされていたのがとても印象的だった。だからとても数学が好きになったような気がする。
先生は教員になって初めての赴任地が宮内中学校であった。その後長岡高校の数学の先生になって転向された。高校では野球部の部長・顧問をやっておられた。
谷畑先生を車で迎えに行き岩部君と花火の打ち上げ場所に行くと田村豊君(現在は田村書店店主兼寺子屋塾の塾頭でもある)が待っていた。花火師の従兄弟はいつでもスタンバイの状態であった。
北村敏雄君(北村公認会計士所長兼長岡商工会議所副会頭)に頓所良雄君(水道局を定年退職後は悠々自適の生活!今回の幹事役)は時間の関係から宴会席からの出席である。
打ち上げられた花火の殻は表彰状に使われるのであるから何としても拾わなくてはならない。しかし、午後6時を回ると流石に空は暗くなり、落ちてくる殻は中々見えにくい。田圃の中に落ちるのであるから稲刈りされた後とは言えどぬかるみを警戒して長靴で殻を拾いに田圃の中を駆けずり回るのである。
漸くではあるが、二発の内の5号花火の半割れ殻を拾うことが出来た。後は見えない。片割れでご勘弁願って玉拾いは終了。事務所に帰り事前乾杯である。
花火は打ち上げ現場の下で見るのが一番感動である。
花火の感動は光もあるが、何と言っても音である。しかも空高く響きわたる前に花火の筒に火が投げ込まれた時に打ち上がる時の“づっんッ”と言う腸に染みわたる時の音である。
宴席は同級生の寿司和の店主鈴木和夫君の店の小上がりである。店は他の席も満席であり熱気むんむんであった。
宴席では昔話に花が咲き、大変な盛り上がりであった。
朋あり遠方より来る、また楽しからずや!である。
お互いの健康に留意しながら次に会える日を楽しみにしているのである。
4号・5号:打ち上げ前の記念写真! 従弟花火師の打ち上げ開始である。 花火の成功を記念してひとまず乾杯!
左から:頓所・高田・田村・谷畑先生・岩部・北村・鈴木である! 花火の殻を拾ってきて表彰状!
*もうひとつの話は:20110927(火)鹿児島から大学時代の同級生がやってきた。
以前は毎年の様に東京の経営者会議に出席して、その折々に情報交換をしていたいのであったが。
その後お互いに多忙を極め、出席できなくなってしまった。その後はお互いに時間を見つけてはお互いの会社を三度ほど訪問している。私が訪問した最後は阪神淡路大震災の時である。もう17年前と言うことになるが、昨日の様に会社風景を想い出す。それだけ強烈な風景であった。
彼の会社はヤマサハウスと言う。鹿児島県内で住宅建設においてはNO1であると周りから聞いている。名実ともに実力会社である。
当社との比較ではヤマサさんが年間200棟~250棟の完工をしているのに対して私どもは年間完工棟数は80棟前後の会社である。(中越地震後の3年間は増改築も含めると140棟ほど行った実績もあるが)
情報交換して自社の為に取り入れるのであるが、会社にはそれぞれの特徴があり、即そのまま参考になるのはかなり少ないこともある。
それでも社会の動向・今後の業界の流れ等について話し合うととても参考になる。会社に対する考え方・建築についての考え方・ポリシーもお互いにユニークであり参考になる。
しかし、共通点も沢山ある。
私たち親同士は大学の学部学科まで一緒である。子供は学部が違うが大学が同じである。お互いに今年の春に挙式を上げた。もうじき孫が出来ると言うことまで同じである。
息子たちは4歳の年の差があるが、情報交換している時は同じ世代の話題になっている。
共通点の一つは材木店から始まっていることである。しかし、能力差は歴然としている。ヤマサハウスさんの材木部門は鹿児島県産材の杉材を供給する能力はNO1であり、CO2削減の為に地産地消は国策にかなっており、ますます追い風である。
製材工場は全自動である。17年前の風景はこうであった。丸太材量を選んで載せるとコンピューターが自動計測して、どのような材料が取れるかを判断して製材するのである。加工製品は自動仕分けで保管される。作業員は故障時の為に手当されているのである。
住宅展示場を6か所オープンしており様々なデザイン供給をしているのである。性能に関してはその取り組み方は半端ではない。先導型長期優良住宅仕様も複数にバージョンアップして認可を取得している。
住宅探検隊を称して勉強会を毎月一度やっている。バス見学会である。鹿児島県内の営業所から本部のパビリオンに集まってヤマサハウスさんの仕事の仕方について・会社について一日がかりで学ぶ会である。お客様にとっては自分の家づくりのパートナーとして大丈夫か検証して頂いているのである。
また、それらの講師になるブレーンが良い。デザイン関係者・性能検証者・品質管理者などなどである。
毎月出される社内報は内容も大変な質量を持った雑誌である。巻頭言には先代の社長・お父さんの言葉が掲げられており、会社のイズムを作っている。お父さんはもともとは教育者であった。
今回のヤマサハウスさんの来社はリプチの町づくりについて継続・定点観測である。
佐々木社長の同行者は設計課長の竹下さんと息子さんの主任である佐々木さんである。
次の日には東京ビッグサイトで開催されているジャパンホーム+ビルヂィングショーに参加の為に半日しかない。住宅物件と木造・RC・混構造の7物件を見て頂いた。
車の中でも情報交換である。大変充実した半日であった。
東日本大震災でパネル関係が供給不能になった時、春物件の分を鹿児島から手配して頂いたのも大変ありがたかった。お蔭で春の仕事をストップしなくてよかったのである。
朋あり遠方より来る、また楽しからずや!である。
また、お出かけ下さい。
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