三上から四上・五上
エッセイ
~枕上・鞍上・厠上+槽上+道上(路上)一人でいる時:やってくるアイディア, チャンス虫を呼ぶ力~
* 先日、NHKラジオで「朝の随想」を聞いていると中国の古い言葉にある「三上」の話が紹介されていた。良きアイディアがやってくる時の状況は三つの上にいる時・状況・空間だと言うのである。
三上は「枕上(ちんじょう)」・「鞍上(あんじょう)」「厠上(しじょう)」だと言う。
夫々、床枕の上・馬の上・便器の上(現在こそ腰掛式だが当時はどのようなスタイルだったのかは追求しないが:厠の中)
* 枕上:横になって枕の上で考えあぐねている時にやってくるものを枕上!確かに机に向かっている時よりも朝目が覚めてほのぼの状態の時にすぐに起き上がらずに床の中で、今日一日の仕事をイメージトレーニングした場合としない場合ではその日の仕事の進み具合には格段の差が出ることは誰でもが経験済みである。
アイディアもそうである。何も自分とは縁もゆかりもないお化けが話をしているわけではない。少しでも自分の中で考えていたことから端を発していることの方が多いことは間違いない。
朝の目覚めだけではなく、夜中に目が覚めた時にもアイディアがやってくることがある。勿論、それには仕掛けがあって、もともと考えていたことがらに対する答えの場合が圧倒的である。毎日考えていたとは毎日、智の扉を叩いていたのである。叩き続けていたのであるからかなりの残響音も残るのであろう。その音は様々な知恵知識を動員してくれるのである。
しかも、このアイディアはすぐに書き留めないとどこかに行ってしまうようなか細いアイディアではある場合も多々である。しかし、育つと大木になる。
小さい時には目上の人たちから「ごろごろばかりしていると怠け者になってしまうぞ!」と警告されたが、今なら言える。「ただ今アイディア創造中!」
枕上は良い言葉だ。秋の夜長を楽しませてくれるのであるから。
* 鞍上:馬の鞍の上である。古来の乗り物でなくてならないのは馬である。またがってみて初めて分かる:馬の背中は意外に広い。山のぼりの途中に出会わす台地みたいな感覚を持っているのは私だけだろうか?
長距離馬の上で揺られていたら、きっとリズムが出来て心地よい1/fの揺れが作られているのかもしれない。バイブレーションの快感は脳を刺激して良きアイディアを産んでくれるのだ。
今時では「車上」と言ったところだろうか?
自動車だけでなく電車も車上だ!車の運転中に考えごとをしていると危険ではないか。と心配されそうであるが、意外に車の運転に集中している時にアイディアがやってくることが多い。
そして何よりも電車の中ではうとうととしながらもアイディアがやってくる。鞍上が車上に変化した時代である。
* 厠上:朝の厠は私にとっては書斎である。本が7冊置かれている。起きると同時に読み始めるのである。普段は30分~40分であるが、休みで時間があると1時間に及ぶこともざらである。
最近首を後ろに向けると腕にしびれ感がやってくる。頸椎ヘルニアの気があるらしい。整体に聞いたら起きたてにトイレで読書は避けた方がいいと言われてしまった。・・・・・・・・しまった。
トイレの空間は一畳程度が多い。車いす対応のトイレでも二畳(一坪)程度である。この小さな空間こそ意識が集中できるのである。
現在のトイレは洋式である。長時間でも読書は可能であるが、日本式の便器ではそう長くはおれないだろう。日本のウィンタースキーのジャンプの成績が良かったのはこのトイレスタイルの功績ではないかと長い間考えていた。和洋どちらにしてもトイレは頭脳と体力の育成スペースの様に思えてならない。
三上の他に私の場合は更にいくつかの思考空間がある!
* 槽上:トイレ空間に負けないくらいに考える空間でいいのが風呂の中である。
カラスの行水ではだめである。ゆったりと入るのである。しかし、どうしても長湯が嫌いな私には槽中は難しいのではないかと思う。
むしろ風呂上りにビールを一気に飲み干した時の空間がいいかもしれない。泡上である。文字通りポーである。
* 道上(路上):長いトンネルの先に突然に光が見えてくる時の様な状態である。
難問の解決策がなかなか見つからずに悶々としている時に散歩道で突然ヒントがやってくることが多々である。私はこれを道上と言うことにする。道草と言うよりも道上である。
皆様もどうじょ(どうぞ)やってみた(て)ください!
哲学の道がある。京都大学哲学者:西田幾多郎はいつも考えていたと言う。突然やってくるアイディアを道の上に書くのである。
奈良女子短大の数学の先生をしておられた岡潔先生も同じであったと聞く。歩いていたが突然立ち止まって道路に数式を書き連ねられるというのである。勿論、誰もの了解事項であるから車はストップ・別経路に変更してくれるという。
アイディアである。一瞬にして閃いたものは一瞬にして冷めてしまうことがある。直ぐに書き連ねることである。
朝の散歩道は何も考えないようにしている時に突然やってくる。勿論論文のまとめもこの散歩道の最中に整理してしまうのである。
近くの草花を見ながら昆虫たちの動きに足を止め、立ち上がって東山を遠望する。遠近感の大空間は思考・アイディアの大キャンバスである。
お酒を飲んで酔いが回るとアイディアらしきものが沢山出てくる。書き留める習慣は酔い状態でも続く。しかし、決まって翌朝には裏切られる。そのアイディアは大したことはないのである。これはどうしてだろうか?相対比較で拡大縮小効果が見られるのかもしれない。
* 人間の思考に開放と刺激がある。三上は七上にも八上にもなって行く。
私は木の精(気の性?) どうです?思いっきり両手を広げて綺麗でしょう? カバトラックのタイヤはドラム缶?
いつの間にか整列している白鳥たち! 太田川を散歩するオスの雉君! なんと美しい十文字重ね!
桐の葉をゆったりと食い尽くすモスラ? 成長するとこんなに大きくなるのだ?