建築家「藤森照信氏」がアオーレ長岡にてご講演!南雄三氏御一行がリプチの森にやってきた
エッセイ
* シティーホールプラザ「アオーレ長岡」が2012年4月1日にオープンした!
・ 地元紙:新潟日報は連日の様に取り上げている。開館初日から11日間で17万人強来館したと伝えている。私たち夫婦も初日に足を運んだ。多くの人々で賑わっていた。顔見知りの人達も家族連れである。
・ アオーレ長岡の立ち位置は長岡駅前商店街通りから見れば人々が集まるアルコーブ的役割を担い、反対にアオーレ長岡側からは触手のように張り出す「なかどま」で人々をお出迎えする空間を形成していることになる。
・ ゾーニングは人々が自然に流れて入れるように「なかどま」が設えられており、行政機能スペースの谷間を通りながらアリーナへと無理なく連結させている。
・ 長岡駅二階コンコースからアクセスできるようにしたペデステリアンデッキを設けたことで人たちの流れが大きく変わったのだ。まさに流れる様に!吸い寄せられる様に!誘引されるのだ。
・ 「なかどま(中土間)」は建築家隈研吾氏の設計コンペ時の強烈なコンセプトであった。この場所が様々なイベントに使われることを想定してのデザインである。開館時にはもうすでに今年度の企画が満杯であるとも聞いた。
・ アオーレ長岡の建築は郊外にあった市役所施設の一部を街の真ん中に戻そうと言う長岡市の企みを上手くデザイン化したものである。シャッター通りと言われた駅前通りが活性化することは間違いない。全国的にも珍しいタイプである。県外からも多くの人々が足を運ぶことだろう。期待したいところである。人々が集まる所に元気が生まれ!
・ 中土間に相互から迫り出す空間(キャンチレバー空間)が空間自体に楽しさとダイナミックな命の息を吹き込んでくれている。
・ 結果として中土間に設定されたステージ上で行われるパフォーマンスを立体的多方面から見ることが出来るのである。
・ 議場は1Fに設置されている。大手通側一部コーナーガラス張りを通して議会活動を見ることが可能なのである。通行人だれでもが覗くことが出来るのであるから、あの国会中継の様に居眠り議員さんは激減することであろう。
・ 天井にはスパイラルに杉の乾燥集成材が超大型まさかりの刃のように設置されている。長岡花火をデザインしたと聞いたが、居眠りした議員にはギロチン制裁が加えられんとするばかりである。何ともファニーである。
・ 一時、隈先生は建築雑誌等(日経アーキテクチャー)で「表層の建築家」の一人に加えられていた。この度もガラス・鉄・アルミと言った無機質材が多用されていたがその一皮外に杉材を長岡城のお城の石のように覆ったり床材に木質系を使ったり和紙を壁面に使うことでグーンと人々に親しみを与えることになった。有機質材である地元の杉を使うことで空気が一変するのである。隈マジックと言ったところである。
・ 市長室もオープニング初日の一日限りではあるが入室が許可されていた。一般的に市長室は奥の部屋に追いやられそうだが、当館では中土間に向かって迫り出している。しかもガラス張りである。監視もできるが監視もされている。
・ 同じ4階には防災管理センターが置かれている。長岡市も毎年のように水害・震災・豪雪と自然災害の試練を受けている。いざ鎌倉!と言う時に機能発揮できることを期待したいところである。
* オープンからほぼ一週間過ぎた4月8日に摂田屋サフラン酒の大看板が「なかどま」に設置された。勿論この仕掛け人はNPO法人:醸造の町摂田屋町おこしの会である。
・ 上組小学校の校門の前がサフラン酒の大屋敷!私達が小学校の時にいつも目にしていた大看板がいつのまにかなくなっていた。朽ちていく看板が骨董商に売られていったのだそうである。無くなっている事さえ気にしないでいた町おこしの会は大看板の行方の発見と買い戻しと修復の大仕事の仕掛けにはまり込んでいったのが2年前である。
・ 一度ついた火の回りは早い!半ば興味半部。半ば強制力発動!あれよ、あれよ!の内に資金が集まり、買戻し、修復、そしてお披露目である。醸造の精神はじっくりと時間をかけて!であるが、町おこしの会には通じない。
・ そして様々な想いが錯綜するが現況サフラン酒の看板自体は空になっている。説明によればここにみんなの想いを入れてもらいたいからだと聞いた。
・ 看板本体は12mあると言う。なかどまの高さが15mであるから設置するにぴったりでもあった。アオーレの開館と大看板の復活は何とも絶妙のタイミングであったことに変わりはない。
・ お披露目の初日に 建築家藤森照信氏の記念講演があった。内容についてはケーブルテレビと民放で放映されると聞いた。(そちらを参考に!私自体は勘違いで時間に間に合わなかったのである。)
・ その後「日本一の大看板の魅力を語ろう」と題してパネルディスカッションが開催された。そちらは楽しく参加させて頂いた。その分交流会も賑わった。
・ 一昨年のご講演で気になっている藤森先生の言葉が頭から離れない。「これからの建築の方向は分かっている。答えもわかっている。しかし、答え方が分からない。」と!
* 20120413(金)リプチの森に南雄三氏御一行が視察にやってきた。
・ 前日に上野住建さんのモデルハウス「R2000」のリフォーム後のお披露目会が開催されたそうである。南雄三氏はエコ・環境工学では日本を代表される先生である。
・ 私が初めてお会いしたのは断熱問題がこんなに大きくなる以前30年も前からである。
・ 南先生は小説家になろうと志を立て世界各国をヒッチハイクで周ってこられた話は当時の私を魅了した。平均的生活者の私にとっては自由奔放な空気に圧倒されたのである。
・ 先生はご講演とご執筆の毎日で大変ご多忙の方である。同行者は全国から集まった設計事務所・工務店・建設資材関係者の25名くらいであった。
・ 南先生はリプチの森が誕生(今年で5歳)した翌年には現場に足を運んでくださっていた。今度で二度目である。当時は3~4軒だったが多くできたね!と第一声であった。
・ 皆さんが集まったところで町のリプチの森の概略を話させて頂き、水門中から流れる水に誘われながらリプチ通りを歩くこととした。公園のテンセグリックタワー「リプチの月」を見ながら、リプチの森のたまご(弊社:住宅展示場)を視察して頂いた。一階は模型とパネルで満杯である。二階からは太田川越しに見える田園風景と雪の東山を堪能して頂いた。
・ その後、サポートセンター摂田屋の介護施設兼地域交流スペースをご覧いただき夫々で意見交換がなされた。住宅地にできた介護施設が施設・施設していないことに気が付かれ皆様の視線が鋭くなって質問も多くなってきた。福祉介護施設の変容をこの建築の中で見つけてくださったようである。
・ 実際に自分の身内が施設に入っているがこのような環境にはない。とか。一色建築事務所のスタッフの方からは、“この優しい空間に涙が出てきました!”と感想を述べてくださった。
・ 直感であるが、この言葉は私の今後の取り組み方にも大きく影響するひとことであったと感謝する次第である。何気ない一言が人を動かす!私を動かす!・・・・・・・・・・
・ 丁度一時間たったところで記念撮影!そして次の会場へ!
・ 南先生にも久しぶりにお会いしたがお元気で何よりであった。今後も健康にご留意され益々にご活躍ご祈念申し上げる次第である。* 建築界でご活躍される藤森先生と南先生お二人の方にお会いできて大変元気を頂いた週でもあった。この機会に感謝・万謝!
サポートセンター摂田屋の地域交流スペースにて! サポートセンター摂田屋前にて記念写真