ヒルサイドストーリー:お化けを嫌うプレカット機械?
建築/巣舞.間知.趣舞
お化けを嫌うプレカット機械
お化けに怯える心から生まれる「苛め・体罰」で若い命が失われていく!* 弊社:高田建築事務所のグループ会社のタカモクは資材販売・プレカット加工・現場大工工事を請け負う仕事をしている。
・ このことについては以前のブログで書いているので詳細は省くこととして、プレカット機械(設計されたキャド構造図を元に木材を自動的に刻み加工をする機械)が昨年末から具合があまり良くないのである。そんな最近の症状や出来事について少々書かせてもらう事にした。
・ 突然機械が停止したり、反対に分けもなくローラーが停まらなくなり本来自動加工機械なのにその都度作業員が設定のし直しを強いられていた。当然能率が上がらない。
・ CPU(Central Processing Unit:中央演算処理装置)を入れ替えたりしながら原因を特定しようとしているのであるがなかなか見つからない。替えることによって以前の症状とまた違った症状が出て来るので繁忙期には心理的にも大変不安定であった。地元の機械整備士から来てもらってもなかなか拉致が開かない。
・ 早めに機械製造元メーカーの専門医から来てもらわなければならないのであるが電話対応でも修正が出来る範囲であるからと言ってこちらもなかなか進まない。対応がとても悠長に見える分焦りも高まってくることを覚えた。
・ それでも電話のやり取りでほぼ収束に向かってきた。最後にローラーの自動停止が出来ないことだけになった時、漸く故障する場合が特定できたのである。
・ それは、化粧材の横架材(梁材)の加工の時にだけ現れるようになったのである。
・ 化粧を嫌ったプレカット機械?そもそも化粧は木材の構造材を表し部分に使う時に指示されるものであった。
・ 表し梁には「化粧材」とキャドオペレーターは打ち込むのである。その指示をなくするとローラーは正常運転になった。
・ 特定できたのでメーカーの専門医は最終チェックにやって来た。そこで無事にトラブラなく正常運転再開である。
・ 人間の化粧は見栄えのしないマイナス部分を見栄え良くプラスに見せるための操作である。見方を直視すれば化けることをいうのである。ある程度ならいいけれど極端な化けにはカタストローフを覚えるかもしれない。
・ プレカット機械もお化けを嫌っているとは今まで思ったこともなかった。段々人間と一緒の視線になっているのだなーと思うと近年話題のブラックマター(暗黒物質=目に見えないが存在している物質)が身近に感じる今日この頃である。
* お化けに怯える心から生まれる「苛め・体罰」で若い命が失われていく!
・ 体罰を受けた男子生徒(当時17歳)が翌日に自殺した。アンケート調査するとその他にもたくさんの事例が出てきた。
・ 事件が起こるたびに体罰の是非が問われる。教師の中でも指導上からは必要な体罰もあるという。特に学級崩壊が起こっている現場・荒れ狂う学校は教師が適切な指導を怠ったから生徒たちの暴走を野放しにした。と!適切な指導の中には体罰もあると言う。
・ 体育系は試合で勝利しなければならない。名門校にでもなれば“勝利し続けなければならない”と言う脅迫概念のお化けに怯えるのだろうか?
・ 体罰の是非を聞かれたら私は何と答えていいか戸惑ってしまう。又判断するに必要な場数を経験していない。
・ 学園ドラマで見せられる様に、愛情を持って指導する体罰ならば良いと思うと言うだろう。しかし、未熟者の私には愛情を持った体罰を見たことが無いのである。
・ お化けに怯えた原因での体罰行為や孤独からの解放のために利用された苛めならたくさん知っている。
・ 又師弟の関係で弟子の出来が悪いことは自分の指導が悪いとして師自身を体罰にかせる教師の話は聞いたことがある。これぞ分かりやすい愛情体罰である?
・ 又、毎日新聞の記事から:昨年には男子生徒(当時13歳)が自殺した問題で、目撃した複数の生徒によると、体育祭の昼食時間に、会場の観客席で、男子生徒が同級生3人から鉢巻きや粘着テープで手や足、口を何重にも巻かれていた。この状態の男子生徒を同級生の1人が背負い、別の2人が男子生徒の背中を蹴る場面もあった。
・ この様子は、周囲の複数の生徒や教諭が目撃していたという。間もなく、女性教諭が同級生3人に「やめなさい」と注意した。3人は「はーい」などと言って粘着テープをはがすなどし、男子生徒の拘束を解いたという。
・ 苛められている生徒がいる現場を見た。お化けに踊らされることなくそのまま素直に忠告する。とてもすがすがしい女性教諭ではないか。また素直に従う生徒達。まるで自分たちがやっている苛め行為にストッパーが効かなくしてしまっているお化けに出会ったような生徒たち。「速く止めてくれと言う!」甘えの温床?
* 安倍総理のブログをときどき覗く!(確か小泉総理の時に安倍官房長官がはじめた総理のブログはその後歴代の首相に引き継がれてきた?)苛め問題対策を含めた教育再生実行会議のメンバーの一人である曽野綾子さんが寄せられた手紙が掲載されていた。
・ 安倍総理のメッセージ(その2)
1月25日(金)投稿
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Facebookでも御紹介した昨日の教育再生実行会議では、いじめの問題についても議論しました。
昨日出席できなかった曽野綾子さんから、いじめや体罰についての考え方を書面で意見をいただきました。そこには、ただの知識ではなく、自らの経験から学んだ、いじめにどう向き合うかという人生哲学が記されています。皆さんと是非とも共有したいと思い、御紹介させていただきます。御一読いただければ嬉しく思います。と書かれていた。
* 「苛めた、苛められた」という感覚を、この世から完全になくすことはできませんが、少なくとも学校という教育的な場において、その弊害を減らすことは、大切な目的です。
・ 苛めは非常に原始的、かつ、未熟な感情であり、もし学校というものが、生まれたままではなく、人間性の再構築を目指す場なのだとしたら、そこでは看過されるべきものではないからです。
・ 最初に配布されました資料を読みましたが、私は次の3点をご討議頂きたいと感じました。
・ 第1 は、苛め問題を、制度の改革によって改変または軽減できると見る姿勢です。それではとうてい根本的な解決には到達できないだろう、と思われます。もちろん行政としては、表面の近いところから手をつければいいのですが、本質的に問題解決に向かって歩み出すには、もっと深い人間性への迫り方が必要です。制度や体制をいくら整えても、苛めという人間の本質に繋がる問題は解決しません。もっと深い哲学的な考察と教育によってしか、光を当て得ない分野だろうと思われます。
・ 第2 は、苛められる側を救うための制度をいくら作っても、それもまたこの問題の解決にはならないだろうということです。庇うだけでは、人間は生きて行かれないのです。弱いものを庇うことは必要ですが、同時に、人間は自らが強くなる必要があります。城をいくら頑丈に作っても、自らに敵に対抗する知恵や体力がなければ、城だけでは守り切ることはとうてい不可能です。
・ 第3 に、そもそも人間教育は誰が何によって行うのか、という根本の点にも触れないと、やはり解決の道にはいたらないでしょう。私は昔からこの問題をしばしば考えることがありました。いささか歪んだ家庭に育ち、戦争中は死の危険を体験し、中年以後はアフリカなどの貧困と始終接して来ました。その中で、私はよき環境からのみではなく、しばしば歪んだ世界からも多くのものを学びました。教育は自発的な動機がなければ効果が定着しません。その点をも含めて、今まで欠けていた教育の本来の責任者は誰かという視点にまで到達して、苛め問題の根を取り除く方向に向かって頂きたいと願っています。
・ ・・・・
・ 詩編に「主は私の羊飼い。私には乏しいことはありません。・・・・・・あなたの鞭と杖は私の慰めです」とある。
・ 確かに傲慢不遜な輩には必要な鞭!おごり高ぶるお化けから身を守ってくれる。しかし同時にその鞭は羊を外敵であるオオカミを追い払う鞭でもある。又、杖は私を支えるものであるが、井戸に落ちた羊を引き上げてくれる杖でもある。そしてその鞭と杖は私の慰めである!と言う。
横架材を刻むプレカット機械が化粧材加工の時に暴走する。