高田清太郎ブログ

蓮池薫氏のご講演を聞いて!



エッセイ

すまいは巣舞
巣は形・舞は想い
想いを形に
巣舞るフォー・ユー
高田建築事務所

*    昨年暮れに新潮社から発行された「拉致と決断!」が書店の一番目につくところに平積みされていた。著者は「北」で24年間拉致されていた蓮池薫氏である。
・    書店に行って気になる本を手にしたらそれは買うべきだと誰かが言っていた。もし戻せば一生会えない本になるとも言っていた。気になったから手にし、手にしたのはメッセージがあるからだと言うのである。
・    そんな訳で書店に行くと10冊前後をいつも買いだめするのである。そして自分の書棚に立てて置く。するといつか読む日が来るのであるから不思議である。書店で最初に手にした時に読んだ感覚とは別の感覚の事も多々であるのだが。
・    書籍の帯部分に「北」での24年間を初めて綴った迫真の手記!:監視下の生活・偽装経歴・脱出の誘惑・洗脳教育・94年核危機と開戦の恐怖・検閲を潜った親父の写真・飢餓と配給・・電撃帰国の真相・・・・・感涙のドキュメント!と書かれていた。
・    どの項目もとても気になることであるからであった。
・    この書籍「拉致と決断」を直ぐに読み始めて蓮池さんがとても文才に長けている方だなーと思った。蓮池さんの他の著書とは一線を隔している様な気がしたからである。
・    読み進むうちに拉致の切なさ・夢希望の切断・絆の切断は余りにも非情である。
・    そんな時に取引銀行の会で講演会に蓮池薫さんをお呼びすることにしたと連絡が入った。
・    当然ではあるが、その日を待ち遠しく思っていた。
・    タイトルは「夢と絆」であった。
・    語り初めに、「拉致」とは何か?どうしたら解決できるか?そして定義された。
・    「拉致」とは国家的犯罪である。夢を断ち切り絆を断ち切ることをいう。自由とは選択することが出来ることをいう。しかし独裁国家に拉致されれば選択の自由はない。
・    蓮池さんが拉致されたのは1978年の夏だと言う。今年で35年になる。私が会社を開いて36年であるからちょうどそのころの話である。時代風景を重ねて拝聴することにした。
・    「拉致」の目的は工作員に仕立てたり、その国の言葉や風習を工作員に教えたりする目的を持っている。
・    特定の人を拉致すると言うより無差別拉致である。主に女性をターゲットにするのであるが、拉致が行われるような場所は人目のつかない暗い場所である事が多い。アベックが狙われるのはそのような環境からだと笑えを交えられた。男である自分はおまけだったそうである。
・    北の独裁者は一面に映画好きでもあったから。韓国の一流監督と女優まで拉致する事があると言うから正気ではない。
・    レバノン女性達を日本に連れて行くと言いながらだまし、ピョンヤンに連れて行ったことや、拉致は国際的人材を集めているのであった。拉致されたレバノン女性たちは、工作員製造に従順に従うことを決意。その後レバノン女性が工作員訓練で海外に出かける。大使館に逃げ込んで拉致問題の存在が表面に表出したのである。*    その後、蓮池さんは自分の拉致された時の状況を克明に話された。
・    大学の夏休み:柏崎海岸でデートをしていたら、4名の人影が自分の右目後ろにちらほらと確認できた。その内の一人が話しかけてくる。流暢な日本語を使う。これが工作員。工作員一人に戦闘員3名が付く。戦闘員の一人が後ろから自分の目を叩く。目つぶし戦法である。まず、目隠しにするのである。カマス袋に入れられてゴムボートで移送。しばらくすると拉致母船と接続。乗り換えさせられて連行される。
・    彼女とは別々の生活である。お互いは行先を分からないまま1年9カ月が経つ。後に分かるのであるが彼女には彼氏は日本に帰した。蓮池さんには彼女はどこにいるかわからないと。
・    招待所は工作員を育成するための監視場所!
・    そこではまず最初に「北」の独裁者が考えている思想教育の徹底することが目的である。
・    最初はビジュアル的な教育から始まる。そのためにも言語教育が欠かせない。
・    言語が通じるようになると脅しをかけてくる。以前招待所を逃げた人がいた。探すために3万人の軍隊が捜索する。そして見つける。その先は分かるだろう!まさに釘を打つのである。そして脱走が出来ない状況を把握させる。あきらめの境地に至るまで脅すのである。
・    そして時に「死にたい」と思うようになる。帰国できないことが分かってくると絶望の境地に陥る。
・    やがて精神的不安定になってくる。結婚させて安定させるのが北の思うつぼである。
・    彼女との再会は1年9か月であった。
・    子供が生まれる。すると子供を育てる上で辛いことが三つある
①    自分たちが日本人で拉致被害者だと絶対に言えないこと。
②    子供たちは150km離れた学校に行かなければならないから親子離れ離れである。言葉が上手く話せないので、子供たちには自分たちは在日朝鮮人と言うことでごまかす。
③    社会情勢がとても貧しく、ピョンヤンの招待所では対外的に良く見せるためには食事もそこそこ保障されるが、子供が通う学校では食事の担保はされない。帰省すると子供たちはがながなに痩せている。
・    拉致されて20年が経った。1998年テポドンが三陸沖に撃たれた。
・    工作員キムヒョンヒ事件が起こる。工作員が日本語を学んだのは日本人で拉致された方からだと言う。
・    この年ころから家族会が立ち上がる。
・    ソビエト連邦が崩壊し、中国も北ばかりではなく韓国にも近づく。そんな時代から活路を開くために日本と仲良くする必要が出てきた。
・    2002年:拉致者を返すことが大切だと思うようになった。当然拉致者として返すのではなく、行方不明者を探すことを日本側に約束する。
・    そうなるとピョンヤン市街にあるそこそこ良いアパートで子供たちと住むことが演出された。ここでも洗脳である。
・    9月18日に小泉総理が北を訪問する。親たちがピョンヤンに来て行方不明者と面会することが約束されるしかし、親族は年が行っているので訪問は出来ない。そこで拉致被害者が25年ぶりの帰国・帰郷になったのである。
・    北は当然。帰ってくることが前提であるから、人質として子供を置いていくのである。子供にはお父さんお母さんは遠くに旅行に出かけると言うことで置いていかなければならない。
・    そして帰国。しかし、時間が経ち子供達を置いてある北に帰らなければならない。日本国政府は返さないという。
・    決断の時が迫られる。
・    薫さんはとても悩んだが、拉致が表ざたになった以上は隠すことはそれ以上に国の心証を 悪くしてしまうはず。必ず北は子供を返す!に掛けるのである。その決断には奥様は半狂乱になったと。
・    そして、1年7カ月後に子供たちが日本にやって来る。
・    1時間ちょっとのお話の時間であったが大変コンデンスな講演であった。*    著書「拉致と決断」の中で、蓮池さんは「何で日本は助けに来ないのだろう?」と言う単純な疑問を記していた。単純な疑問だけに私達日本人に強烈に語りかけているのである。
・    講演後の懇親会では、いくつかの質問をさせて頂いた。
・    蓮池さんからは講演が進むとどんどん興奮してくるのです。と素直にお話して下さった。
・    それだけに伝わるものが大きかった。
・    一日も早く、拉致問題が解決し、早く拉致被害者が帰ってくることを強く祈念するものである。

*    是非とも著書「拉致と決断」をお読み頂きたいところである。