チクタクチクタク:不思議な絵になる時計達
エッセイ
すまいは巣舞
巣は形・舞は想い
想いを形に
巣舞るフォー・ユー
高田建築事務所
* ある日私の懐中時計が見当たらなくなった。しかも二個とも迷子になってしまったのだ。
・ この時、常日頃はあまり意識したことは無かったのだが、私の周りには意外に沢山の時計があることに気がついた。だから社内にいる限りは懐中時計は不要のようにも思えたらしく探そうとしなかった。
・ 当たり前のことだが、それらの時計の多くはほとんど同じ時刻を表示している。
・ そのことが不思議だ! (と言うと、周りはそういう私が不思議だそうである)
・ 電波時計と言うらしい。標準電波の送信局から送信される原子時計による日付・時刻情報のデジタル信号を受信し、自動的に時刻を合わせる時計が電波時計!
・ 何でも日本の場合は福島県田村市と佐賀県佐賀市の2箇所から送信しているらしい。標準基準を刻む同じ基地から電波に乗って飛んでくると言うのである。その電波をキャッチして時をデジタル表示したり、アナログ表示したりしているらしい。
・ 1分1秒違わないらしい。くるってもO.何秒の世界であるという。当たり前のことであるがその電波時計もテレビに表示された時刻と一致するのである。
・ 現代人にとっては当たり前のことでもアナログ人間にとってはそのこと自体がとても不思議なことなのである。えらく感動するのである。
・ 電波時計ならぬ従前の電池時計はその点においてはかなりアバウトである。時間と共に(?)遅れたり早くなったりするのである。
・ 調整の常套手段として私はNTTの電話サービスを使って正確な時刻を得て針をあわせるのである。「ピッピッピピー、只今OO時OO分OO秒をお知らせします」と10秒ごとに音声で知らせてくれる。
・ 10秒毎だから1日24時間で8640回アナウンスしてくれているのである。難儀なことであるが文句一つ言わず人が聞こうが聞くまえが継続しているのである。頑張っているナーと何時に無く共感してしまっている。
* 会社内の絵になる時計をいくつかご紹介しよう。
・ 会社での私の部屋に掛けられている時計は常に他の時計よりも早く表示をしている。2~3分早くなったままにしておくのはざらである。
・ 5分以上長くなった時には調整にかかる。高所に置かれた時計であるから横着にそのままにしておくと10分早くなることも多々である。しかも早くなった時計は悪びれず当たり前の顔をしている。
・ さすがに狂いが10分ではいけない。直ぐ(?)に調整である。時計が悪いのではない調整を怠っている私の責任であるのは当然!
・ かつて旧社長室であったミーティングルームに古くから柱時計が掛けられている。
・ 昔、タカモク木材部が製材業をしている時の取引業者さん(原木取り扱い業者)から頂いた想いで深い時計である。時計箱の横には周年記念の記念品の押印がされていた。
・ この柱時計はゼンマイねじ巻き式である。1週間に一回ねじを巻いてやらないと止まってしまう。私はこのねじ巻きを土曜日の朝散歩に出かけるときに巻くことにしている。忘れたときには残念ながら止まってしまうのである。
・ 朝の薄暗い光の中で振り子を穏やかに規則正しく左右に振っているのである。
・ この時計が絵になるのである。私は嫌いではない。何もしないで調整のいらない電波時計よりも何故か手が加えられる分だけ愛着は大きい。
・ この柱時計の音はボーンボーンと意外に太い。耳に心地よく届けてくれる。記念品を贈ってくれた会社は現在存在しないが音は往年の響きを忘れさせない。
・ 時代が下がって原木を製材する時代から製材品を加工するプレカットの時代に入ったが、この時計の音でかつて出合った人々のシルエットが朝薄光の中で踊りだすのである。
・ オ~~ノスタルジア!
・ 又、あるとき、工場にも掲げられていた丸時計がいつの間にかなくなっていたことに気がつく。どちらかと言うと散歩には時計を持ち歩かない私に途中情報を提供してくれるから何時になく頼りにしていた時計でもあった。しかし、取り外されてはじめて散歩足がこの時計を意外にも便りにもしていたことを分かったのだ。
・ 私達の周りには無くして初めてその存在に気つかされることが沢山ある。そのことを気付かさせてくれる時計でもあった。
・ 更に私にとって何よりも楽しい時計(?)が30年にもなろうとしている。1986年に我家の建て替えをした時に北側外壁面に取り付けられた赤いちゃんちゃんこを着た時計である。外形を見る限りはまだまだ立派に現役である。
・ この時計は何の変哲も無い外部用電池時計である。この時計も電池切れや指針狂いで何時も正確では無いのである。単なる飾りなら良いのだが、中学生の通学路にも当たるのである。特にバス通学に人にとってはこの時計を頼りにしていた(?)と聞いた。しかし、やがて狂ったときに小走りにさせられたりバスに遅らせられたりするのに慣れて、誰もあてにしなくなったようである。
・ 当てにならない時計を取り外せない私がいる。
・ 壁面についているだけで、こちらも絵になるのである。絵になるから楽しい空間が生まれ出てくるのである。
・ そう、私にとっては時を知らせる時計ではなく、正に絵になる楽しい時計なのである。
・ 更にもう一つの時計をご紹介しよう。空間がゆがんだ時計である。ダリの時計?時間を知らせる指針は正確らしい。でも見つめていると酔いそうである。私達の空間も実はゆがんでいると聞いている。ただ、知覚上矯正されてまっすぐに見えるだけとも聞いた。
・ 時間と空間はとても不思議な協奏曲を奏でている。
・ 時文字反対時計も忘れてはいけない。床屋さんの時計である。鏡に映って初めて正式の表示をしてくれる。
・ 時計は様々な使命を持っている。そのことが楽しいのである。
・ 車時計は目的地までの目的時間を急かせるからあまり好きではないが、1~2分の狂いが気になるのも事実だ。
・ ここまで書いて、お読み頂いた方には、またまた時間を浪費させてしまったことにお詫びを申し上げなければならない。ペコリ!
* この様に何故かしら私にとって時計は絵になるのである。絵になる時計の使命は時刻を教えるだけの機能を優先するものではないことを教えてくれる。
・ 同時に目で見える時計もあれば見えない時計もある。
・ その代表は「腹時計」である。ある意味ではとても正確な時計と言えるだろう。数値としての時計ではなく昼飯の時を教えてくれる。使命をダイレクトに伝える時計ということも出来る。・・・・そんなことを考えていると「グーッ」と音も出す優れものである。
・ 夕方の腹のへこみ時計はある意味で本当の機能を備えた優れものである。
・ 耳に聞こえる時計の代表は朝の鳥のさえずりであり、夏のセミの夕暮れ告知と寝苦しい不快度時計でもある。秋のこおろぎに泣き声は冬の準備を促す時計でもある。
・ そして何よりも散歩帰りの台所は味噌汁の時計である。
・ それでは頂きます。
・ 本日も行ってまいります。
・ 大きな古時計の歌も聞こえてきそうだ。
K社周年記念時計 ゆがんだ時計
我家の北外壁時計 何年前の時刻だろうか?
迷子になった懐中時計が帰ってきた 常に時を急ぐ時計
Kさんのリビング時計 床屋さん時計