高田清太郎ブログ

そんなに面倒考えなくていいのでは?とおふくろの言葉が届いてくる。



エッセイ

すまいは巣舞
巣は形・舞は想い
想いを形に
巣舞るフォー・ユー
高田建築事務所

愛は寛容である:Love  is  patient!

*    愛は寛容であり親切である。又、人を妬みません。愛は自慢せず高慢になりません。・・・・・・(バイブル:コリント人へのパウロの手紙)
・    愛は寛容である!Love  is  patient!:キリスト教会式結婚式メッセージの定番である。
・    結婚の挙式ごとに語られる愛の定義である。私のブログでも何度も登場して来た言葉でもある。
・    愛は寛容である。忍耐・辛抱と訳さなかった翻訳者には頭が下がる想いである。

*    4月末に弊社設計部のT・s君が結婚した。現在社長役をしている私も結婚式に呼ばれた。祝辞を述べなければならない。
・    そして私の習慣であるが結婚する本人に祝辞依頼内容を聞きことにしている。勿論、その通りに話すことは無いが話を聞くことで当日スピーチの最低の担保が取れて安心である。
・    そんなわけで、T・s君に祝辞の題材を頂きに行く。すると素直にプロポーズの言葉を聞かせてくれた。その言葉に私は悩殺された。
・    「ぼくは君を世界一幸せに出来ないかもしれないが、ぼくが世界一幸せになれることを約束する」である。
・    なんて詩的で素晴らしい言葉だろう!(それに反して、結婚式の祝辞では、そのほかの挨拶で長くなってしまいこの言葉を伝えることが出来なかった。であるから、このブログで話させていただくことにした。

*    我社の社是には「自分を愛するように隣人を愛しなさい・自分にしてもらいたい事をしてやりなさい!」とある。(バイブルの中のイエス・キリストの言葉である)
・    愛する!と言う言葉を聞くと反射的に他者を愛の対象に考えがちなのは私だけではないと想う。が、ここでは自分を愛するようにと、順序は自分を本当の意味で愛することが出来る人が他者を愛することが出来るのである。(ref:キルケゴール:愛について)
・    T.s君の告白はその意味では私にとっても順序は間違っていないことになる。
・    感動したプロポーズ・フレーズであり何時までも脳裏に残る言葉だ。

*    戻るがPatientを忍耐と訳さずに寛容と訳したところにポイントがある。
・    元々、忍耐には視線を換えると二つの視点が見えてくる。我慢と寛容である。簡単に言うと、
・    忍耐=①我慢:自分目線が中心
・       =②寛容:相手目線が中心
・    と言えるのではないだろうか?

*    そして今日は結婚式で語られる「愛」本体について考えて見たい。
・    愛:それは、とても深遠でありとても偉大である。私ごとき小人では使うことさえ許されないと想っている。そんな私が話すのはその訳語がとても身近に感じたからである。
・    一昨年召天したお袋の言葉(熱心な純粋クリスチャン)である。愛について小さなグループ仲間で語っていたときである。「おばあちゃんは愛をどのように考えていますか?」と質問されると
・    「自分にはそんな難しいことは良く分からないけど。面倒考えなくて良いのでは?ただ、相手のことを大切に想うこと!大事に大事にすることではないかなと!」とポツリと一言。
・    まさに、目からうろこであった。
・    であるから、結婚式ごとに私が思い出す愛の定義でもある。

*    それにしても結婚式は何時も感動ものである。今まで別々に生活していた二人が父母を離れてひとつになるのであるから。
・    考えようによれば大事件に間違いはない。
・    形は様々な姿で現れるが、今は愛の季節である!とフッとおもう。

*  とてもお似合いのカップルである。  お二人の末永きご多幸をご祈念申し上げます。

  

* 新郎は当社に入社して5年目である。
・ 住宅関係を中心に設計業務に当たってもらっている。最近ではめきめきとデザイン力をつけてきている。完成作品はとても個性豊かさが現れている。
・ きちんきちんとした仕事は建築主様には評価を頂いている。
・ 自分の仕事には責任を持って何時も遅くまで頑張ってくれている。
・ 日常業務のほかに新郎の母校である新潟大学の大学院で私が非常勤講師をしている関係上助手に同行願っている。実務経験を踏まえて一部お話をしてもらっているが、こちらも皆の注目を集めている。
・ 頼りがいのあるナイスガイである。

・ これからは、新しい家庭生活に入ります。仕事との両立!早く帰れるようになることも祈念する次第である。