重い一円玉:(唯一水に浮かぶ硬貨でありながら)1円のおつり。 2015.08.4
エッセイ
* 1万円札とバス乗車賃
・ 市内でたまたまバスに乗る機会が続いた。降車時にお金を払おうとすると1万円札が一枚。
・ 運転手さんがお釣りが無いから次回乗車した時に支払って頂ければ良いですよ!
・ なんと、理解のある運ちゃんではないか?
・ ところがそれから一ヶ月もしないうちにもう一度同じ場面に出くわした。運ちゃんは別の人であった。対応は前回と同じであった。
・ 運転手マニュアルにでもあるのだろうか?又、たとえマニュアルがあって、マニュアルに添ったとはいえ、次回に払うと言う信頼関係がなければスムーズな対応・返答は出なかったであろう。正に、性善説そのものである。
・ それからバスを見るたびに想い出す。そして後日、丁度ストップしているバスに乗り込み、理由を言って二回分の乗車賃を払う。勿論以前に乗った時のバスの運転手さんとは違ったが、わけを話して払おうとすると「有難うございました」である。運転手さんも状況を一瞬にして把握して受け取ってくれる。これもマニュアルに用意されているのだろうか?
・ 自販機なら一円不足しても欲しい品物と交換はしてくれない。正確さはあるが融通性はない。融通性は幅でもある。
* 銀行ではその日一日のチェックをして現金の残金確認をおろそかにしないと言われている。
・ 喩え、一円でも合わなければ残業してでも、深夜になっても合うまで追及するそうである。間違いには必ず原因がある。その原因が1円の影に潜むと言うのである。
・ 一円の食い違いは一円で終わらないともいう。二箇所の間違いが発見されるかもしれない。1000万円と1000万円+1円の食い違いが潜んでいるかもしれない。
* 納税者としては国民誰しも税金の無駄遣いは一円たりともしないで欲しいと想っている。
・ しかし、税金と国債発行を原資にした予算執行者にとっては時々麻痺してしまっているのではないかと思える事が多々ある。
・ 何に麻痺しているのか?単位に麻痺しているのである。
・ 数字が100でもその単位が千円?万円?億円?兆円?
・ 2020東京オリンピックの為に準備が進められていた新国立競技場は設計コンペ時に条件であった予算をはるかに超えて2倍になったと言う。1300億円予算が2620億円に跳ね上がったのだ。もともとの1300億円の予算も破格であった。
・ デザイン性と建設費は必ずしも両立しない場合ある。しかし、同時に良きデザインだから建設費はかかっても致し方ない?的発想に私達は物申す。
・ 建築は強・用・美を追求した総合芸術であるとヴィトルヴィウスは言った。
・ 私達は+2Cを唱える。一つのCはコストである。とても大切な条件である。むしろ現実に建築されるには真っ先に強要される条件でもある。
・ そして、同時に自然摂理に添ったデザインは構造をエコノミカルにする実例を経験している。
・ デザインの為の建築だけではなく、時に建築を建築足らしめる構造デザインは経済的であることを一層確信しておきたいところである。
・ 今回のコンペしなおしの是非論が市場を賑わしている。まさに多士済々である。
・ 税金の無駄遣いをしない!観点からのジャッジはとても大切だ。
・ 建築は経済的産物の何者でもないとデザイン絶対主義に警鐘を鳴らす一人建築家が言っていた事を頭の片隅の引き出しから鳴り響いている音を再確認した。
* 1500万円の建築契約金の精算金の最終金の支払いシーンでのこと。
・ おつりが一円であった。粗品を添えてそのまま一円の返金である。
・ なんとその一円が重く感じたことだろうか?
・ 端数処理と申して数字を整える為に切りの良い金額を提示することがある。お客様のKさんから言われた、端数処理するなら10万円・100万円値引きして欲しい。自分は建築していただいたのだから対価として一円まで払いたいと言うのである。それが価値だ!と。
・ ガーンと頭の中が鳴り響いた。
・ 建築業界では見積もりからの大幅値引きを仕掛けてくる建設会社や営業マンがいる。
・ ハウスメーカーにいたっては3000万円にところキャンペーンを理由に500万円値引きすると言うのだ。びっくりだ。そんな見積最初からするな。であれば最初から500万円引きの見積もりを出すべきではないか?何か不誠実な場面を見る。
* 一円に笑うものは一円に泣く!
・ 喩えが不謹慎かもしれないが、一人の命は尊いが100万人になるとそれは統計学的数値である。と言った。毒ガスで600万人を殺戮したアウシュビッツ収容所:アドロフ・ヘス
・ 最小単位が1円である。この一円なしに全ての金額が成り立たない。とても大切は基準である。
* 一円電車なるお話を聞いた!
・ 兵庫県にある明神電車である。明延鉱山からの鉱山用軌道で活躍したらしい。軌道延長は6Kmという。
・ 廃鉱閉山にともない廃線となったが環境変化と共に紆余曲折はあったが1952年から一円電車として復活したと言う。
・ ウィキペディアによれば、鉱石列車のほかに、鉱山関係者の便宜を図って人車も1945年から運行された。この時、当初は運賃無料であったのが、1949年から50銭、1952年から1円を徴収するようになった。その運賃はその後、1985年10月の人員輸送廃止まで変わらなかった。「一円電車」と呼ばれる所以はここにある。