高田清太郎ブログ

伝える・伝わる・伝えよ 長岡医療と福祉の里の40年 田宮理事長様と名コンビの広川元局長様の回顧録



エッセイ

すまいは巣舞
巣は形・舞は想い
想いを形に
巣舞るフォー・ユー
高田建築事務所

 

 

*        毎日が晴れの舞台ではないのは納得できるが、それでも誰でも人は皆、精一杯生きて一日一章である。

・  建築業を生業とさせていただき現在に至る。様々な条件下で今の仕事をさせていただいているのを振り返ると不思議である。ちょっと出会いのステージやタイミングが合わなければ知り合えなかった人と人・事と事!考えて見ると不思議だ。

・  長岡福祉協会様との出会いは田宮崇理事長様との出会いからの始まりであった。

・  田宮グループは長岡市内を中心に医療福祉のお仕事を幅広げてこられた。

・  その中の多くのプロジェクトに弊社も参加させていただいた。

・  元田宮病院局長であられる広川敢さまが43年間の長きにわたり携わってこられた長岡医療と福祉の里を昨年3月に離れるに当たり40年の歴史を上梓された。

・  崇徳会:田宮病院の草創期から今日までをつづられた正にヒストリーである。

・  私達の会社も仕事上でお付き合いさせていただき大変長きに渡ってご指導頂いた次第である。この場を借りて深く感謝と敬意を表するものです。有難うございました。

・  会社の歴史を伝える伝え方は様々であるがやはり記念誌という形で残されることはとてもありがたいことである。

・  少なくともかかわりを持たせたもらった者たちにとっては、こちからではなく相手様から見た視点がとても重要だからである。

・  そして、形となって残った建築が形化するまでのプロセスを伝えることはとても重大な使命を持つことになるからでもある。

・  この伝えがなければ伝わらなかったことでもある。

・  書籍の中の一文を転写させていただきお付き合いいただいたことを深謝するものである。

*        広川元田宮病院・崇徳会局長様から退職するに当たって「長岡医療と福祉の里の40年(実際には43年勤務)」の著書を頂いた。その中に当社との設計の取り組みが掲載されていた。とても光栄に存ずる次第である。

・特に設計事務所との変遷も委細が記されていた。

・開設時:細貝建築事務所・

・第二期工事:深尾設計事務所

・第3期~第7期工事:石本設計事務所・KIコンサルタンツ

・第8期以降~今日まで:高田建築事務所

・当社のことでは二つの事例が書かれていた。

①   ひとつは当社が初めて病院建築の設計チャンスを頂いた田宮病院第8病棟である。コンセプトネーミングは「ホスピデンス棟」である。ネーミングの由来詳細も記載されていた。ホスピタル(病院)+レディデンス(住宅)=合成語:ホスピデンス。

・閉鎖的に成りがちな精神病院を何とか開放型にしたい想いが理事長様にも伝わり弊社を選んでくださった。廊下は道路・療養室は住宅だ!などと叫ぶもんだから、病院側は局長初め事務長を私の監視役につけられた。(ようである)

・第8病棟は第一回精神病院学会(幕張メッセ)で開催された時に作品として紹介された。因みに新潟県建築士事務所協会のその年の最優秀賞を頂いた。8病棟入り口に表彰状とコンセプト紙が掲げられている。

・今年の春先、田宮病院様の第9病棟の改修工事の説明会があったときに田宮理事長様が自ら参加者にそのコセプトを話してくださった。聞く側の私にとってもとても気分がいいものであった。

②   そしてもうひとつは老健施設ぶんすいであった。特に田宮理事長様のご一家が分水町がゆかりの土地と言うことで力が入った。当社はコンセプトのその土地の持つ風景をデザインサーベイさせてもらった:分水堰・おいらん道中などをデザインの表現させてもらった。

・こちらも建築内部に外空間を取り込んだことである。雪国では冬期間外での生活が出来ない。建築内部に外部空間化することで小さな町に住まう感覚を醸し出すのに成功した。

・おいらんさんの八文字歩きは入り口ホールの照明器具に写像した。2秒おきに照明が8を描く軌跡を作り点滅する仕組みである。

・増築計画がされていたので延長させておく梁には佐藤陽一氏が製作した石造形のふくろうを置くことにした。

・ページをめくる毎に走馬灯の様にその時代が一望されるのである。

・そんなわけで皆様からも是非ともご一読お願いしたいところである。感謝・万謝!

 

 

*        折りしも、11月3日付で政府は2015年秋の叙勲受章者を発表した。

・元田宮病院院長でもあり崇徳会理事長の田宮崇先生が瑞宝小綬章に選ばれた。おめでとうございます。

・新潟日報の記事コメントには「患者の社会復帰に力」と書かれていた。(以下全文)

・精神医療が専門の田宮病院(長岡)を1967年に開設して依頼、半世紀近く心の病に悩む患者に寄り添って来た。80歳を過ぎた現在も診療を続け、「患者さんが社会復帰する為の力になりたい」と語る。

・精神科医が少なく医療環境も整っていなかったことから、精神医療の道に進んだ。現在は医療法人「崇徳会」の理事長などを務め、緩和ケアをはじめとする地域医療の充実に力を注ぐ。精神疾患は治療が長期間に及ぶことも多く、患者は不安や歯がゆさを感じがちだ。寄り添う側にも根気がいるが、「退院した患者さんから結婚や就職を知らせる手紙をもらうとやりがいを感じる」と話す。

・近年はストレスなどによるうつ病で苦しむ人も増えており、「駆け込み寺のような存在でもありたい」と強調する。優しさや思いやりを大切に、患者と真摯に向き合う姿勢を貫く。

・・・・・と書かれていた。

・これからもご健康に留意されてご活躍されますことをご祈念申し上げる次第である。

新潟日報 11月3日 朝刊 掲載記事