ことばの小窓「映画:沈黙」
エッセイ
すまいは巣舞
巣は形・舞は想い
想いを形に
巣舞るフォー・ユー
高田建築事務所
* 沈黙
・ 映画「沈黙」を観てきた。マーティン・スコセッシ監督によるものだ。
・ 遠藤周作氏の大作:「沈黙」が映画化された第一弾は1971年である。その時の監督は篠田正浩氏であり、私は大学2年生であった。
・ 今回の沈黙は映画化第二弾であった。
・ どうしても46年前の沈黙の迫力は忘れることが出来ない。キリスト教土壌で無い日本人監督の目線はどのようにしてキリスト教が日本に根付いていくか?(根付くはずがない視点の様に受け取っていたようだ)
・ 命を懸けた信仰:祈りに対する無言の不条理を如何に伝えるか?迫真に迫ってきたからだ。
・ 私がはじめて聖書を手にしたのは高校二年の時であったと記憶している。が内容はとても理解したとは言えないが通読した覚えがある。まさに「ツーと読んだ」だけであるが。
・ 高校の商業英語授業に宣教師であるアメリカ人が講師としてお出でであったことが出会のはじめであった。
・ 当時の私にとっての「沈黙」は「神の不在」とイコールがテーマであったかのように思う。全く短絡化されていたのであった。
・ 聖書の神である限りは「私はあってあるもの」である。ザイン「Zein」:出エジプト3:
* 「沈黙=不在」の構図は私の中で長き間くすぶっていた。
・ しかし、聖書ストーリは真逆であった。
・ 沈黙を通してしか与えられない神の業・恵は人類への偉大なる愛である。
・ 十字架が無ければ、復活が無ければ成り立たないキリスト教における人類救済への道でもあった。
・ 十字架上でイエスは大声で叫ばれた。(マタイによる福音書:27:46)と記されている。
・ 「エリ エリ レマ サバクタニ」=「わが神 わが神 何故私をお見捨てになったのですか?」
・ 全人類の罪を一人十字架で背負わされた神の一人子、イエスの死と復活を通してしか贖罪が成立しなかったと
聖書は伝えている。
・ 沈黙を通してしか与えられない神の業は人類へのこれ以上ない豊かな憐みの業である。
・ 沈黙は雄弁よりも深く真髄を語ることがある。
・ 不在の関係ではなく、より深き愛の業が現れる前兆なのかもしれない!と気づく。
・ 遠藤周作氏の「沈黙」を映画化することは私にとってはとても難しすぎる。
・ 「沈黙=神の存在」
* ボンヘッファーの一日一章:主のよき力に守られて!(新教出版社 村椿嘉信訳)
・ 4月5日:われわれを見捨てる神
・ 僕たちは〈たとえ神がいなくても、この世のただ中で生きていかなければならない〉ということを認識することなしに、誠実であることはできない。
・ しかも、僕たちがこのことを認識するのは、まさに、神の前においてである。神こそが、僕たちにこのことを認識させるのである。
・ 僕たちは「成人となる」ことによって、神の前における自分たちの状況を正しく認識するようになる。
・ 神は、僕たちが「神なしに生活を営むことができる者」として生きなければならないということを、僕たちに知らしめる。
・ 僕たちと共にいる神とは、僕たちを見捨てる神なのである(マルコ15・34)
・ もちろん、「神」という作業仮設なしに僕たちをこの世で歩ませる神の前に、僕たちが絶えず立ち続けることには変わりはない。
・ 僕たちは、したがって「神の前で、神と共に、神なしで生きるのである」
・ 神はご自身をこの世から十字架へと追いやる。
・ 神はこの世においては無力で弱い。
・ しかし、神はまさにそのようにして、しかもそのようにしてのみ、僕たちのもとにおり、また僕たちを助けるのである。
・ キリストが自分の全能によってではなく、自分の弱さと自分の苦難によって僕たちに助けを与えるということは、マタイによる福音書8章17節の「彼は、わたしたちの弱さを身に受け、わたしたちの病を負った」という言葉からも全く明瞭である。
・ この点があらゆる宗教との決定的な相違点である。
・ 人間がもつ宗教は、人間が困窮に陥ったときに、この世において神の力を示す。
・ ところがその場合の神とは、人間の陥っている境遇に、無理やり引き寄せられた「神」にほかならない。
・ しかし、聖書は、人間に神の無力と苦難を示す。そしてこの苦しむ神こそが、人間に助けを与えることができる神なのである。
・ その限りにおいて、〈この世が成人となる〉ということは、〈誤った神概念が一掃される〉ということであり、〈僕たちの目が解放され、その結果、この世の中で「無力さ」によって「力」と「場所」とを獲得する聖書の神を見るようになる〉ということなのである。
・
rf:ボンヘッファー(牧師:ドイツの古プロイセン合同福音主義教会の牧師。20世紀を代表するキリスト教神学者の一人。 第二次世界大戦中にヒトラー暗殺計画に加担・挫折・処刑される)
* 「沈黙 < 存在」
・ 沈黙を見ながら言葉がやってくる・・・・・・・・・
・ モーゼが尋ねる。「あなたの名は?」声が聞こえる。「私は有って有るもの」(出エジプト記)