NO.10 「居包陣」・・・・雪国にない独特の空間
エッセイ
三十年前、私は建築学科の大学三年でした。建築に対してスランプを覚えたのを契機に、自転車で北海道一周一人旅に出かけました。夕方が異常に寂しく 午後ニ時過ぎになるとどこにテントを張ろうか、寝場所探しをしている自分を見つけるのです。午後六時を過ぎても決まらないときは、かなり精神的切迫感をお ぼえるのです。それにひきかえ、帰る場所が決まっている何気ない毎日が、こんなにも精神的安心を与えていることに逆に、驚きもしました。一枚のシートがこ んなにも自分を優しく包み込んでくれる。この時、人間には包み込む空間が必要であることを痛切に確認させられました。これ以後の私の空間感を大きく変えて しまいました。
O さんは大手電気メーカーのエンジニア、海外出張も多く、落ち着ける家を造りたい、といわれたのが、今から十年前でした。「外観は思い切り民家風であって欲 しい。打ち放しコンクリートの一室が欲しい」などなど。中でも「高田さんの造る家は明るすぎる。南面に窓はいらない。少々暗くってもよい。私たちはできる だけ落ち着いた家がいい。」こんな要望は珍しいのでびっくりしました。
この発想の向こうにある思いをたずね、ようやくうなずけました。「倉敷で生活をしたことがある」という一言でした。なるほど倉敷は、重みのある落ち着いた 蔵造りの街です。光の侵入制限がよどみをつくり、陰影のある独特の空間づくりをしている街です。明るさと温かさを一番に考える雪国の家造りとは、かけ離れ た建築になりそうだったので「居包陣(いほうじん)」と呼ぶことにしました。ただし、カミュの小説とは違い、「包み込まれる居場所を求め、家庭と社会の間 に陣を敷く」というコンセプトで出発しました。見学会の時に参加した御老人が「これは雪国の家ではない」と言われました。この一言を聞かれたOさんは、自 分たち家族だけに通じる思いが形になった家であることを確信され、おおいに満足されました。
私たちはそれぞれ独特の空間感をもっています。「蟹(かに)は甲羅(こうら)に似せて穴を掘る」ということわざがあります。このことわざは住まいづくりを する私たちに一つの、しかも強烈なヒントを与えてくれます。他からの借り物「やどかり的発想」ではない、わが家のスタイルに合った住まいづくりを示唆して くれます。住まいづくりは単なる箱づくりではなく、家族にとって大切な生命をはぐくむ場所です。包まれる生命の営みと包む器が一体となって初めて満足のい く住まいを手にすることができるのです。