高田清太郎ブログ

デザインモチーフとなった雪庇(セッピ)



エッセイ

庇貸してお母屋取られる:屋根貸して雪庇つくる。

長岡市は無雪都市宣言をしています。看板が確りと雪の中で頑張っているのを見るととてもユーモアを覚える。違和感とまでも言わないが、現状錯誤をしているような妙な感じになる。「事実は小説より奇なり!」と言うより、ここでも「現場は標識より奇なり!」である。一口に雪と言っても、さらさらな“新雪”から雨と混ざった“ざら雪”、乾燥した“締まり雪”、湿気をタップリ含んだ“ベタ雪”と様々である。そして、長岡市内の雪は、冬期間通してほとんど“ベタ雪”状態である。
それらの雪質で、様々な表情を作るのも雪国の楽しみの風情である。
前出のブログでバーバパパ・ジージママの事例でもご紹介済み。
乾燥雪の中でも“風花(かざはな)”は、何とも美しい響きだろうと誰が命名したのだろうか一人感心してしまう。雪華としなかった理由を問いたいのである。
晴天で太陽が出ているときにちらりちらりと舞う雪である。何ともいえない風情である。
湿気の多い地方よりも乾燥している地方に多い。長岡でも数こそ少ないが、時に見ることができる。その雪が続けばパウダースノーとなり、スキーヤーにはもってこいの状況でもある。
又、雪が作る風景の一つに“雪庇”(セッピ)がある。屋根雪に溜まった雪がせり出してくる。風が吹くと風下側の屋根の上から雪がせり出してくる。湿気を含んだ雪が、どんどん成長して庇を作ってくるのである。だから雪庇(セッピ)と言う。雪庇がつくる造形は、楽しくもあり時に危険でもある。固まった雪となって落雪する。通行人の上にでも落ちてくれば大事故にもなりかねない。事実、立派なむち打ち症に診断された事例はたくさんある。
諺に“庇を貸して母屋取られる!”と言う諺がある。ちょっと逆接的になるが、舞い落ちる雪たちの休み場に屋根を提供するのであるが、その屋根をオーバーハングして大雪庇をつくりはじめるのである。
雪庇は屋根雪が風に吹かれて屋根面からせり出してくる現象であるが、風さえあれば出来るというものでもない、雪質と風のコラボレーションである。小さなものから大きく張り出すものまでその表情は、とてもユーモアを通り越してコミカルでさえある。ヘアーファッションショーにもなったりするのは以前見ていただいたが、そのほかにも様々な形で私達をほくそ笑ませてくれる。
例えば、沢山積もらないうちにせり出した雪庇は、薄く綺麗にスライスされたように透明感豊かである。
反対に沢山積もってせり出した雪庇は、越前くらげさながらの大くらげのような大雪庇に成長して気色悪くさえ思う。
これが落ちて下敷きになったら立派な平地雪崩である。
又、垣根に積もった雪が時間と共にせり出してくると一緒に重さを感じてしまう。
簡易物置に積もった雪からせり出す雪庇は、何かを知らせようと必死なシグナルの様でもある。
そんな雪庇をデザインモチーフとして“ゆきん子ペンギン教会(長岡ルーテルキリスト教会)”に取り入れてみた。会堂は高さ13mまで延びるかなり高い吹抜け空間である。2階ギャラリーの手すりにせり出すアール壁を設けることで空間を引き締める役割を与えた。丁度、雪庇の様だと感心してくれたのが、7ヶ月の研修で東京からやってきた神学生のKさんであった。庇効果でポイントを付けることで、天井まで伸びる空間に一味加えて空間を仕切ってくれている。
時間と共に変幻する雪庇は、毎日私達雪国人にはデザインモチーフとなってくれている。
雪国には雪国の環境創造が日々行われているから、厳しさと同時に豊かさも楽しむことが出来る。

   雪に埋もれる無雪都市宣言看板 何かを伝えようとしたバーバパパ 普通にせり出す雪庇

   雪庇 瓦棒でスライスされた雪庇 余りの美しさに翌朝もパチリ 正面から見る雪庇

   長く持ち出した建築庇と雪庇 方杖出持ち出す庇 越前くらげの様な巨大雪庇

   綿帽子を被った垣根雪庇 再び登場ヘアーファッション 長岡ルーテル基督教会の聖壇

   聖壇左右の壁は雪庇デザイン 雪庇で高い吹抜け空間を押さえる 資材置場の大庇

 コンクリートアール庇