高田清太郎ブログ

言葉は力である:伝道者の言葉は伝道者を越える。(発言者の言葉が発言者を越える)



エッセイ

フットプリント・千の風(作者不明のとても素敵な詩)

偉大な詩は作者を知らない?しかし、何時ぞや、必ず明るみに出て顕わにならないものはない!
人生には喜怒哀楽が多種多様に、しかも多元的同時的に起こっている。そしてそれらの後には何らかの痕跡を残しながら生活という記憶の時を営んでいる。大切なメモリーもあれば、思い出したくもないメモリーもある。
4月は新入社員が溌剌と社会へ出発する季節である。弊社グループも今年、中途採用者3人を含めて新卒2人と合計5名の入社式が4月1日に行われた。会社の過去・現在・未来と言う「今」が伝えられる重要な式典でもある。
会社の憲法とも言われる経営理念から社是・社訓・そして社歴と今後の進むべきビジョンが言葉で伝えられる。画像を使ったりしてビジュアルに伝えようとするが、それでも、言葉はモノと違って目に見えないのである。或いは見えても、自分を培ってきた環境言葉でしか理解できないわけであり、百人百様のイメージが生まれることは避けられないのである。同じ「山」と言う言葉を理解する場合でも、長岡の東山なのか日本一の富士山を意味するのかで言葉は天地の差があることになり、言葉の意味は受け取る人の数ほどにあることになる。伝達手段としてはとても重要な役目を果たす『言葉』が、同時にとても扱いにくく不自由な存在でもあることになる。つまり、言葉には計り知れない程のエネルギー・パワーが宿っていると言うことが出来るのである。
「目に見えることは一時的であるが、目に見えないことは永遠に続く。」とは、そのことを如実にバイブルは語る。
ここに一編の感動の詩がある。「フットプリント」と題された癒し詩である。長い間、作者が不明だと言われていた。読めば誰もが聞いたことがある詩の様にも想う。そして、その詩を最後まで聞いた時に誰もがなんとも言えない温かさと癒し、そして、感動を覚えることだろう。
二人の足跡が突然一人の足跡になり、しばらくすると再び二人分の足跡が並んで歩いている。雪の上に残されていたフットプリント!もう、四月!立春も過ぎ春なのに、又々雪の話しで恐縮であるが、雪をテーマにしたブログの最後である?からご寛容の程を!
美しい詩である。雪道を散歩していた時のことである。振り向くと、そこに足跡がくっきりと出来ているのである。自分でつくった足跡なのに普段と違う感慨にふけってしまった。ふーっと、その時にフットプリントの詩を思い出してしまった。
作者不明とされていたが作者が分かったとインターネット上に公開されていた。以下その記事である。(橿原キリスト教会:小泉智牧師の許可を頂いて転記したもの)・・
幾百万もの人々を感動させた「あしあと」という詩は、長い間、作者不明とされていました。ところが思いがけないところから作者が判明したのです。カナダに住むマーガレット・パワーズさんは、夫と娘が水難事故に巻き込まれ、自分も腕を折るという試練の時「この詩をお読みすれば、きっと励ましになると思うの」と看護婦さんが夫に読んでくれたという詩を開いて驚きました。なぜならそれは彼女が若い頃に作った「フット・プリント(あしあと)」という詩だったからです。
ある夜、彼は夢を見た。それは主とともに海岸を歩いている夢だった。その時彼の人生が走馬灯のように空を横切った。
その場面場面で彼は砂浜に二組の足跡があることに気がついた。ひとつは主のもの、そしてもうひとつは自分のものであった。
そして最後のシーンが現れた時、彼は砂浜の足跡を振り返って見た。すると彼が歩んできた今までの道の多くの時に、たったひとつの足跡しかないことに気がついた。そしてそれはまた彼の人生で最も困難で悲しみに打ちひしがれているときのものであることに気づかされた。
彼はこのことでひどく悩み、主に尋ねた。「主よ、かつて私があなたに従うと決心した時、あなたはどんな時も私とともに歩んでくださると約束されたではありませんか。でも私の人生で最も苦しかった時、ひとつの足跡しかありません。私が最もあなたを必要としていた時、どうしてあなたは私を置き去りにされたのですか?私には理解できません。」
主は答えられた。「私の高価で尊い子よ、私はあなたを愛している。決して見捨てたりはしない。あなたが試練や苦しみの中にあった時、たった一組しか足跡がなかったのは私があなたを携え歩いていたからです

*足跡(Footprints) : 作者  マーガレット・F・パワーズ
One night a man had a dream. He dreamed he was walking along the beach with the Lord. Across the sky flashed scenes from his life. For each scenes he noticed two sets of footprints in the sand; one belonged to him, and the other to the Lord.

When the last scene of his life flashed before him, he looked back at the footprints in the sand. He noticed that many times along the path of his life there was only one set of footprints. He also noticed that it happened at the very lowest and saddest times in his life.

This really bothered him and he questioned the Lord about it. “Lord, you said that once I decided to follow you, you’d walk with me all the way. But I noticed that during the most troublesome times in my life there was only one set of footprints. I don’t understand why when I needed you most you would leave me.”

The Lord replied, “my precious, precious child. I love you and I would never leave you. During your times of trial and suffering. When you see only one set of footprint, it was then I carried you.”

(原文)

マーガレットさんが若き日に作った詩(言葉)が、後に困難に出会った自分を励ます言葉となったと言う話である。
言葉はある人から発せられるとその言葉は独り立ちする。元々言葉には力と命が宿っているからである。
「発信者(伝道者)が語る言葉は発信者(伝道者)を越える!」と言う。
だから、どんな時にも中傷したり、冒涜したり、人をおとしめるような言葉、破壊をもたらすような言葉をもてあそんではならない。
むしろ、人を激励し、温かい思いをこめた言葉、創造をもたらす言葉にこそ人を癒し生かす力が存在するからである。
雪の上の足跡(フットプリント)は春と共に消えるが、心に残った足跡(ハートプリント)は消えることがない。
幼き日に教えられた基本は空に向ってつばをすれば自分に落ちてくる。山に向ってヤッホーと言えばヤッホーヤッホーヤッホーとこだまは連打で返ってくる。ばか者と言えば、こだまは『バカバカバカ・・・・』と何度も重なってくる。
弊社の会社案内に『はじめに言葉ありき』と刻まれている。私達が巣舞(すまい)づくりや建築行為をする時は必ず言葉で考えている。モノづくりをする時にも必ず言葉で考えている。
入社した諸君:イメージも祈りも全て言葉を解していると言って過言ではない。言葉:その言葉が大きな力を持っているのであるから、その取り扱いには細心の注意が必要とされている。そしてその言葉をマイナスイメージではなく、プラスイメージでつくり上げて行きたいものである。大いに言葉のパフォーマンスのステージを広げていこう。
* 一世を風靡した「千の風」の詩は今でも作者不明だと聞いた。『お墓の前で泣かないでください。私はその中にはいません。千の風になって吹き渡っています。』死に対する処し方を根本から問い直している抒情詩である。

春になると消える雪には、様々な言葉・イコン・風景の足跡を残してくれている。

  二人の足跡がいつの間にか一人分に?  苦しい時には負ぶって歩いてくれた。

   自転車と人のフットプリント 人と犬のフットプリント 雪足跡

 田圃のアースプリント

  
マンホールの蓋の姿が徐々に現れてくる。