高田清太郎ブログ

春眠暁を覚えず!朝と夕:朝と暮:出没(日の出と日没)



エッセイ

本当に朝陽の上がるのが早くなった。サマータイム制にしてもよいように思う!
春眠暁を覚えず!とはこの季節だなーと心からと言うより身体が思っている。確かに惰眠をむさぼるにもいい季節であるが、決して何時もよりも寝坊をしているのではない!日の出が早いのである。目を覚ました時には太陽が昇っていた。周りの環境によって変わってくる。
水上勉氏が「人間のバイオリズムは太陽が上がったら起きて、沈んだら眠るのが良いのだ」というようなことを言っておられたことを想い出す。
10数年も前のことであるが、弊社のライブトークフォーラムで講師をしてくださった築縁様の長谷川さまがODAでアフリカに行かれた時の経験談をお話しくださった。それは、赤道直下の生活で日本にいるときに経験する事が出来ないことの強烈な風景のご紹介であった。日の出と日没の様である。緯度ゼロ赤道直下での日の出は一気に太陽が昇り、(ゆっくりと上空を移動する)そして再び一気に日没を迎えるという。日照時間が少ない秋の釣瓶落しとはこのことをいうのだそうである。反対に緯度が高くなると日の出はゆっくりと始まり、ゆっくりと日没を迎えるのである。
そして想い出したかのように、赤道直下だけの話ではないことに気が付く。冬と夏の太陽の出没時のスピードは夏のほうがはるかに速く感じるからである。
また、日の出時間が長くなる季節はとても散歩にも喜びが倍増する!
「出没」は“日の出”と“日没”で分かりやすい:2010年の長岡市内における日の出と日没を毎日記録していてくれた川崎さんから届いた資料によれば4:21分が一番早い日の出である。一番遅い日没が19:10であるという。
反対に一番遅い日の出が7:00であり、一番早い日没が16:24である。
よって、日の出の差が2時間39分であり。日没の差が2時間46分と言うことになる。
合計で太陽の出ている時間差が5時間25分もあることになる。あらためてびっくりである。
「朝夕」:夕あり朝ありという。とかく勘違いがするのが朝の後に夕方が来るとかんちがいする。三浦綾子さんの「夕あり朝あり」はまさにこのことを提示している。

*詩編30章5節に「御怒りはつかの間、いのちは恩寵のうちにある。夕暮れには涙が宿っても、朝明けには喜びの叫びがある。」

中国の四神に「玄武(北・冬)・青龍(東・春)・白虎(西・秋)・朱雀(南・夏)がある。順序は北から、冬である玄武から始まる。私達は「春・夏・秋・冬」と言うからどうしても冬を最後にする。本来の順番は「冬・春・秋・夏」なのだそうである。
また方位も私たちは「東・西・南・北」と言うがもともとの順序は「北・東・西・南」だそうである。それはさておき
朝と夕の組み合わせの四字熟語は分かりやすい!
「一朝一夕」きわめてわずかな期間、非常に短時間の比喩。一朝と一晩の意から。「一朝一夕にはできない」のように、打ち消し表現と連携していることが多いと四字熟語のご案内にあった。
「朝過夕改」:自分の過ちをすぐ改めること。また、その改め方の迅速な様子。「朝過」は朝に犯した過ち。「夕改」はその日の夕方までに改めること。「朝~夕(暮)~」の形は期間の短いことのたとえによく用いられる。「朝あしたに過あやまちて(過あやまてば)夕ゆうべに改あらたむ」と訓読する。とのご案内もわかりやすい。
論語には「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり!」とある。ことわざ辞典によれば、 人としての道を追求することの重要さを説いた孔子のことば。もしも、朝に人間としての生きる道を聞くことができたならば、その日の夕方に死んでも心残りはないということ。だという。
朝と夕で確りと完結しているのである。
朝と夕の組み合わせは分かりやすいが、それにもまして朝と暮の組み合わせの四字熟語の多いことにも驚きである。
「朝令暮改」:広辞苑によれば「朝に政令を下して夕方それを改めかえること。命令や方針がたえず改められてあてにならないこと。」とある。同義語に「朝改暮変」がある。
時代のスピードはどんどん速い!朝令暮改では間に合わない。朝礼昼改の時代である。
朝礼朝改!もありかも?言った先から変えていく人と付き合うには大変骨が折れることでもある。
それにしても何故「朝令夕改」と言わないのだろう。
何故?Why?何故?Why?何故?Why?何故?Why?
朝夕・朝晩なら馴染んでいる組み合わせであるが、朝暮の馴染はない。
反対に「暮れ」の方から考えれば、「明け」の方が自然であるような気がする。明け暮れる!と言うではないか?夜が明ける+日が暮れる! 一日一日が本当に早い。または没頭して終始そのことをする。時間のたつのが早いニュアンスを持つ。
暮れなら明けである。ならば「明令暮改」と言うことになる???
「朝三暮四」(ちょうさんぼし):は辞書によれば、「目先の利害にこだわり、同じ結果になることを知らない。 口先で人をだますこと。」とある。【故事】宋の国にさる好きのおじいさんがいて、さるにえさをやっていた。
しかし、えさをやりすぎて、おじいさんは貧乏になってしまった。そこでおじいさんは「今日からえさのどんぐりは朝に三つ、日暮れに4つにすると言った。」えさを減らされたさるたちは怒った。「じゃあ、朝に4つ、日暮れに3つならどうだ?」そう言うと、さるたちは喜んで、おとなしくなったという。
このことから、目先の違いにとらわれて、全体のことに気付かないことや、知恵のある人が、知恵のない人を丸め込むことに言うようになった。・・・・
ここでも何故「朝三夕四」と言わないのだろう?単純な疑問である。
朝三暮四のいわれを笑っている自分がまさにその猿の様である風景をハット想い出す。
弊社にもその年度毎に受注目標がある。中越地震後の受注額グラフを見ると右肩上がりの目標は立てられないが、その年に社会から弊社が必要とされている度合いを示すバロメーターに受注額がある。建築業では契約額ともいう。
どんなにお褒め頂いてもご契約いただけなければその人からは必要とされていないことになる。反対にどんなに小言を言われてもご契約してくださる方は我が社を必要としてくださった方である。だから契約高は必要尺度の一つであることに間違いはない。
それぞれの営業スタッフはそれぞれの気質と習慣を持つ。前半戦で契約終えるタイプの人とそうでなく、後半戦しかも〆期ぎりぎりで追い込むタイプがいる。それぞれが持つ目標はほぼ同額である。
上司は同じ目標達成なら前半戦型を進める。前半に七割近くの契約が出来れば御の字である。
丁度「朝三暮四」に腹を立て「朝四暮三」にニンマリするサルの様である????
四字熟語も単なる猿真似ではなく、新しい風景を見ながらコラボの空気を注入して自分語に変換していくと結構楽しく一人笑えるかもしれない。
笑いは健康の秘訣ともいうではないか!
ここまで書いてくると四字熟語で「朝蝿暮蚊」(ちょうようぼぶん)と言われそうであるからこの辺で終いにする。
ちなみに「朝蝿暮蚊」(ちょうようぼぶん):しつこくて、何も役に立たない小人物がはびこっているさま。朝には蠅が、夕暮れには蚊が飛び集まり、こうるさくてかなわないが、さりとておっぱらうこともできないことから。 という意味らしい。「朝蝿暮蚊」のブログになっているのではないかと心配である。
4字熟語は面白い:漢字は独特な形をしている!様々な意味を持つつくりからできている。一瞬にしてイメージを理解できるのである。ひらがなやカタカナでは決して持つことがないイメージをデザインしている。難しい文字はパスして分かるものだけでも良いから楽しむことを自分にお勧めしている昨今である。
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ことばは建築屋にとって、コンセプト作りの源泉である。四字熟語はとても重要な要素になってくれること間違いない。と一人合点してパソコンを閉じることにする。

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