高田清太郎ブログ

二つの講演から:①長岡市・三島郡小中学校教頭会議と②朝飯会まちづくりのご一行さまがAPMにやって来た!



建築/巣舞.間知.趣舞

講演はまず自分のプロフィールから始めさせていただくのが一般的である。
・一応レジュメは用意するのであるが、いつも脱線話になり最終的には時間不足に追い詰められて尻切れトンボ的になるのが私の悪い癖の一つである。その時の気分に余裕があるときはそのことを講演の初っ端でしっかりと伝えておく子とは肝要である。と自分に言い聞かせての出発である。・   私自身は講演を聞くときに二つのバロメーターをもって参加する。一つは”面白い講演会内容”であるか?もう一つは”ためになった講演内容”であったかである。
・①面白くなくってもためになる話であったらよしとする。
②為にならなくっても面白い話であればこれもまた良しとする。
③勿論、為になる話の上に面白かったらその講演会に参加した意義は相当高いものである。
④反対に面白くもなく、何の役にも立たず為にならなかったら断然不満が起こる。
・だから度量ある聴者さまにはご寛容のほどを最初にお願いする次第である。
・私の生まれも育ちも長岡市摂田屋である。1949年(昭和24年)12月30日生まれである。団塊世代のもっとも若き年代である。戦後生まれの大変な人口増大期であった。・・・・・・・* 20121001(月)一カ月半ほどの前の話であるが長岡市・三島郡小中学校教頭会議にて約一時間程の講演をさせて頂いた。
・常日頃考えていることや仕事上で実行していること等何でもよいからという自由なテーマであった。教頭先生軍団である。大変見識の高い方ばかりで形式ばった話には無理が生じそうだったので、少々漫談風に話せていただくこととした。
・テーマは「居場所探しの旅」「育夢創造:夢を描き・夢を育て・夢を実現する」とした。
・ 参加教頭先生が92名であると聞いたから少々緊張するのではないかとおもったが大変リラックスして話させて頂いたのである。と言うのは会場に到着するのを待ち構えていられた教頭会会長の小海教頭先生が弊社の情報をホームページなどで確りとキャッチされており講演開始までの10分ほどの間に我が社にまつわる話題を膨らませて頂いたことによるものと思われる。同時に的確な質問には大変びっくりしたものである。 正に準備万端と言ったところであった。こちらをしっかり見ておられると言うことは講師に対して、それだけでとても素晴らしい御もてなしである。
・当たり前と言えば当たり前!しかし、その当たり前が当たり前になされないのが昨今の社会風潮でもある。
・ 様々なお出迎えがある。待っているのではなく駐車場まで迎えに来られるのにも感動した。今回の講演依頼においでくださった目黒・中野両教頭先生であった。正に出て迎えてくださるのである。話に弾みが掛からないわけがない。
・元々依頼時のタイトルは自由で良いと言うのであったので全くこちらペースでのお話をさせて頂いた次第である。
・そして時間がやって来た。私が話を始める前に小海教頭先生から講師ご紹介として我が社の事をお話しくださった。
・講演の段階になってとてもいい気分でお話させて頂く事が出来たのもそのためである

* 閉会の挨拶での結城教頭先生のお話も簡にして要を得たご挨拶であった。「私は今日の講師であられる高田さんの講演で三つの事を学び得ることが出来ました。」
・とても持ち上げてくれたご挨拶には恐縮であった。そのまとめ方にも感動した次第である。
・それでも、講演者が講演終了するといつも落ち込むのは私だけだろうか?あれも言わなかった。これも言えなかった。話漏れ落ちた部分だけが沸々とクローズアップしてくるからである。何時になく自己嫌悪に陥っている自分に出会っている。
・そんな心を見透かされたように電話がやって来た。私にではなく弊社スタッフの神林にである。
・弊社の築縁様でもある今井教頭先生からであった。スタッフ神林の弟さんでもあられる。その内容は講演会で私が話させて頂いたことについての感想とお礼だったと言う。
・高田社長のお話は大変順序良くまとめられていて、話の内容的には自分たち教育者にも心しなければならない参考になる部分が沢山あったとのことであった。
・さすが講演者に対する教育者のフォローは凄いと感動ものである。
・落ち込みから回復するにはとても良いカンフル剤でもあったように記憶している。
・いずれにせよ皆様の御好意には感謝である。

* 朝飯会まちづくりの会の会長である相田幸一さん(新潟市役所技官)とも大変懐かしい出会いであった。当時の出会いの話に花が咲いた。
・ 話は今から17~8年前にさかのぼるが新潟市で主催するすまいづくり教室の第一回目の講師にお招きいただいたのである。
・新潟市ではより良き都市景観の育成について住民のご協力を頂きたいところであったが都市景観と言うと住民レベルと言うより行政レベルと思われがちで中々難しいテーマになりつつあったと聞いた。そこで住民から意識付けをして頂くには我が家の事ならだれも関心を持つであろうとターゲットを決めた。一軒一軒の建築デザインが施されればやがて間接的にも素晴らしい景観が出来てくるはずである。と言う目論見での開催であった。
・講師を新潟市内に限る必要はないのでは?と言うことで一番バッターに長岡市の私に白羽の矢が立ったことを回顧されていた。第一回(一年目)から第七回目(七年目)までメンバーに加えて頂いたと記憶している。
・私自身も聴衆の皆様の質問や不安についてどこまでお答えできたかは心もとないが、それでも温かい想いでの時間空間であった記憶は嬉しい。
・ 講演会を通してとても有意義な交流が生まれてそれが今でも続いているのはもっと嬉しい限りである。