高田清太郎ブログ

「倍返し・10倍返し」 V.S 「7の70倍まで堪忍しろ!」



エッセイ

すまいは巣舞
巣は形・舞は想い
想いを形に
巣舞るフォー・ユー
高田建築事務所
*    倍々ゲームもどきの言葉が踊っている。
・    倍返し!10倍返し!100倍返し!と半沢直樹の声が響き渡る!
・    100倍返しと言う言葉を聞いた時にバイブルの中の言葉が私から離れない。「7の70倍まで堪忍しろ!」と言う教えである。
・    「ガリラヤのイェシュー」山浦玄嗣訳(山浦氏はドクター)ケセン語で第一弾訳:第二弾は日本各地の方言訳「世間(セケン)訳」には
・    「マタイによる福音書18:21~35」“友を赦さない家来のたとえ”と記されている。
・    21:その時ペテロがイェシューさまのことろに来て、言った。(どうやら、弟のアンデレとつまらぬことでいさかいをしたようでござる。)「旦那、兄弟が俺に碌(ろく)でもねァ事(ごと)をしたどして、何回まで堪忍してやったらいいものでござりァせ(ございますか)?7度まででござりァすうか?」
・    22:イェシューさまは言いなさった。「ああ、お前さんに言っておぐぞ。7度どごろが、7の70倍まで堪忍しろ。
・    23:そこでだな神さまのお取り仕切りというのは次のようにもたとえられる。ある殿さまが、家来どもに貸した銭の取り立てをしようと思い立った。
・    24:取り立てを始めたところ、殿さまから400万両もの大金を借りていた家来が、殿さまの前に連れてこられた。
・    25:しかし、どうしたって返す当てがあるわけもなかったから、殿さまはこの家来に、自分も女房も子供らも、すべて人買いに身売りをし、もっているものも全て売り払って、銭を返せと言った。
・    26:家来は地べたに額をすりつけて『どうかご辛抱くださいませ。必ず全額をお返し申し上げますほどに』と、ただひたすらに願いあげた。
・    27:殿様はそれを見て哀れに思い、その者を赦して、その借りた銭も帳消しにしてやった。
・    28:さてその家来が外に出ると、その者から6両ばかりの銭を借りていた家来仲間の友に出会った。そこで、これを押さえつけて首をギューギュー締め上げ、『貸した銭を返せ!』と言った。
・    29:友はその場に土下座して、『どうか辛抱して下され。必ずお返しするほどに』と、一所懸命に頼んだ。
・    30:ところがこの男は、頑として赦さず、[あろうことかあるまいことか、]その友を引きずって行って、貸した銭を返すまで入っていろと言って、牢にぶちこんだ。
・    31:同じ家来仲間たちはこの有り様を見て大層心を痛め、殿さまの御前に出て、ことの始終を委細残らず申し上げた。
・    32:それで殿さまは、その家来呼びつけて、言った。『この人でなしの下郎め。汝がああして頼んだほどに、余は汝に貸した銭を全部帳消しにしてやったのぢゃ。
・    33:余が汝に情けをかけてやったように、汝もおのが友に情けをかけるべきではなかったか?』
・    34:殿さまはカンカンに腹を立てて、『貸した銭を全額返すまでビシバシビシバシいつまでもいつまでもたたき続けろ』と下知して、その家来を責め叩き役の下人の手に引き渡した。
・    35:お前さんたち一人一人が、心から兄弟を赦さなかったら、天のお父さまもお前さんたちに同じようになさるぞ。」
*    400万両を赦していただいた者が6両貸したものを赦さなかったお話は耳に痛い話である。
・    自分が赦された量の66万6666分の1である。(無限に赦される行為と有限の赦しのたとえ話なので数字比較してもあまり意味がないのであるが)
・    自分だけは大きく許されても他人のはちょっとでも許されない。人間の性!
・    7と言う数字は永遠と言う意味がある。その70倍である。
*    ボンヘッファーはこの箇所に次のように書き込んでいる。
・    「赦しというものが、それを受ける者にとっては、どんなに有難いものであるか、そして赦す人をどんなに自由にするのか、あなたは知らなかった。あなたは何時も冷酷な人であった」
・    我々は他者を軽々しく扱う。そしてわれわれは無感覚になってしまい。誰かに対して悪い思いさえ抱いていなければ、それだけで自分がその人を、まるで赦してでもいるかのように考えてしまう。
・    そして、そうしながら、われわれは、その人について少しも良い思いを持っていないことを完全に見過ごしてしまうのである。
・    だから、「赦す」ということは、「その人について本当に良い思いを持つ」ということ、あるいは、そうすることのできない場合には、「その人に耐える」ということである。
・    だが、われわれは、実際、そのようなことはしようとはしない。われわれは他者のことで耐え忍ぼうとはせず、その人と並んで歩いても、常に沈黙し続けるのである。
*    ボンヘッファーは続ける:数えることでは無く、どこまでも許しなさい!と。
・    許すことは如何に困難なことであるかということを知らない人はいない。われわれは、実際に何度も次のように口にする。
・    「もうそんなことは私にはできない。もうあの人にはこれ以上耐えられない。何時もそうばかりはしていられない。彼は私に対しては冷酷であり、私を傷つけ、私の感情を害する。それなのに彼は反省もしなければ、思いやりもない。彼は限りなく私を悲しませる。何時までも私はそれに耐えなければならないのか?“主よ、何度までですか?7度までですか?”」
・    ・・・・・
・    「7度までとは言わない。ペテロよ。7の70倍まで許しなさい」とイエスは言う。
・    何故なら、これこそが彼の助けとなると言うことをイエスはよく知ってるからである。
・    「ペテロよ。数えてはならない。そうしないで、数限りなく許しなさい。何度までと言う問いに悩まされず、無限に、ペテロよ、無限に許しなさい。それが許しと言うものなのだ。–そしてそれが、あなたに対する恵みなのであり、そうすることこそがあなたを自由にするのだ。」
・    一回、二回、三回、とあなたは数えようとするかもしれない。しかしそうすることによって、あなたはだんだんと威嚇的になり、兄弟との関係は段々と苦しみに満ちたものとなる。自分が何度相手を許したかを数えている間は、あなたは繰り返し、相手の犯した罪を数えているのであって、実際には、まだ一度も相手を許していないのである。
・    しかしそのことに、あなたは全く何も気が付いていないのだ。数えることをやめ、自由になりなさい。許しには数も終わりもないのだ。許すと言うことで、あなた自身の正しさが損なわれるのではないかと言う心配は無用である。
・    何故なら、あなたの正しさは、神のところに保管されているのだから。だから、無限に許しなさい。許しには始めもなく、終わりもない。
・    許しは、日ごとになされ、絶えることがないのである。何故なら許しは、神からくるものなのだからである。
・    ・・・・・・「主のよき力に守られて!」ボンヘッファー1日1章/村椿嘉信訳より

*    以前、友人が言っていた、許すとは忘れる事だ!と。しかし、ボンヘッファーは許しは神からくるのである!と。

*    プロフィール:ディートリッヒ・ボンヘッファー(Dietrich Bonhoeffer, 1906年2月4日 – 1945年4月9日)は、ドイツの古プロイセン合同福音主義教会(ルター派)の牧師。20世紀を代表するキリスト教神学者の一人。第二次世界大戦中にヒトラー暗殺計画に加担し、別件で逮捕された後、極めて限定された条件の中で著述を続けた。その後、暗殺計画は挫折。ドイツ降伏直前の1945年4月9日、処刑を急ぐ国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)により、フロッセンビュルク強制収容所で刑死。ベルリン国立図書館の一階には、絞首台のロープが首にかけられたボンヘッファーを描いた大理石の胸像が展示されている。(ウィキペディアより)

 


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