高田清太郎ブログ

まさに”のぼり竜だ!”



エッセイ

すまいは巣舞
巣は形・舞は想い
想いを形に
巣舞るフォー・ユー
高田建築事務所

*    のぼり竜!
・    介護や医療が必要になっても、住み慣れた自宅で暮らせる環境整備にご尽力された高齢者総合ケアセンター「こぶし園」の総合施設長の小山剛先生が3月13日14:47にご逝去された。丁度還暦60歳を迎えたばかりだ。
・    正に小山園長はその人生を走り抜けられた。いつも熱く語り行動された先生の姿を私達は決して忘れないだろう。そしてその人生の閉じかたも正に昇り竜のようだ!
・    ご冥福を衷心から祈るものである。
・    夕方その一報が入った時は信じられない思いであった。
・    丁度その日は建築専門誌(日経アーキテクチュア)からリプチの森の間知づくりの取材を受けており、こぶし園さんが運営しているサポートセンター摂田屋にて施設長からお話を伺ったばかりのタイミングでもあったからだ。
・    なにぶん突然であったので頭の中が整理できない。
・    私自身も建築設計・建設を通して様々場面でご指導いただいていたので焦点が絞れなくぼんやり!と言ったほうが的確な表現かもしれない。
・    時間が経てば正確なシーンがよみがえってくるに違いない。それが分断シーンであっても!
・    しかし今は時間が足りない。
・    そして、あのバイタリティー溢れる園長がお亡くなりになるはずはない。
・    間を入れると、波状的にやって来る寂寥感に打ちのめされている自分をどのように表現して良いかわからない。何せ突然であった。

*    2015年2月28日(土)に開催された40年の歴史を重ねる老人問題セミナーにこぶし園園長の小山先生の顔が無かった。
・    1月下旬にお会いした時もかなりお痩せになられたな~と思って言葉にしたのであるが、園長からは健康管理のために痩せたといわれた。坐骨神経痛は以前にも増して痛くなっているようであるが。
・    2月の誕生日(17日)で60歳還暦を迎える園長は検査の為病院に行かれた。結果はあまりかんばしく無かったと聞いた。
・    先生のスケジュールはいつも一杯だ。全国各地を所狭しと回遊魚の様に動き回っておられた。多忙の先生にお会いするのは、そう簡単ではなかった。
・    粉骨砕身:正に身を砕いてのお仕事である。日本の介護問題に待ったなしを宣言され実践・実行された方である。
・    私のようなものにも丁寧にご質問に答えてくださるこの分野における大先生であるが同時に畏兄であられる。

*    日本の大課題の一つが少子高齢化問題:そのうちの老人介護問題は避けて通られない国家戦略事項である。
・    厚労省とはシンクタンク・パイプラインを通じて実戦部隊としての発言力には大変大きなものがあった。
・    ご一緒に施設計画をさせていただいた数は少なくても10件以上にはなっていると思う。
・    一軒一軒のコンセプトを確りと話し合いながら単なるハード(施設)ではなく命を育む居場所としてのソフト面の話題にはいつも傾聴させられた。

*    こぶし園の解体には数年を要した。それが昨年完了した。
・    テーマは「生まれ育った土地で暮らせるようにサポートセンターを立ち上げる」であった。
・    長岡市深沢にある100床を有する特別養護老人ホームを解体して長岡市内に5つの地域に分散するのもそのプロジェクトに入っていた。
・    100床を5地域に帰す!その内の4つのサポートセンター(美沢・摂田屋・川崎・喜多町)の立ち上げにご指名頂きご一緒させていただいた。
・    施設解体と地域分散再生時には沢山のご教授を頂くことが出来た。弊社にとっても私にとっても何物にも替え難い経験でもあった。

*    その根底には「人間の居場所」の追及であった。
・    とてもロマンの持ち主であり確たる信念の持ち主でもあられた。
・    机上の理論だけではなく実際に介護現場を通しての実践の人であった。そして理論と実践の確認事項でもあった。
・    話し方にはとても温かな響きがあり、それでいて何者にも迎合しない姿勢にはただ感服である。
・    講演会にもご指名いただいて応援団として建築を通しての視点からお話させていただいたことも1・2度ではなかった。
・    理由は何故かと問われれば、弊社が施設を作る設計事務所ではなく、住宅をつくる設計事務所だからであったと思う。人の死に場所は生まれ育った住宅が良い。・・・と!
・    そして自らの終末を実践されたのであった。
・    ぶれない信念「人間の居場所」づくりは人を動かし、地域を動かし、国を動かされた!

*    2010年に竣工・運営開始されたサポートセンター摂田屋は小山園長とのコラボでも、私にとっては、とてもエポックな現場であった。
・    話題はいつもシンプルであった。かつての施設のような場所で自分の終の棲家として受容できるだろうか?
・    もし自分で受容できないなら他人も出来ないのではないか?
・    かつて在宅から施設へと流れたケアシステムに真正面から「NO!」を突きつけられた。
・    最終は在宅介護だ!このロマンに向かってのエネルギーは国を動かした。
・    地域包括ケアシステムを全国に先駆けて実践し、在宅ケアの充実を牽引された。
・    サポートセンター美沢は摂田屋にさかのぼること2年!長岡市の特区として全国に先駆けて完成を見ることが出来た。私どもにとっては土地探しから指導も受けながらのドラマでもあった。

*    地域に分散されたサポートセンターも本来あるべき介護のための居場所としては中途経過所でしかない。
・    元々のすまい場所から隔絶された施設から地元に帰ったかの様なサポートセンターシステムはその手段であって最終手段ではない。
・ 実際に遠隔地の施設から地元のサポートセンターに帰ってこられた入所者で遠のいた記憶が帰って着たという事例は一つや二つではない。

*    その他にも「健康の駅しなの」ではPFIに組ませていただいた。
・    長岡市千秋ケ原の介護施設でも大変な労力を駆使されておられた。
・    高齢者だけではなく赤ちゃんから老人までの「生命の川計画」にも携わらせていただいたのは何物にも変えがたい経験であった。
・    いつも新しいことへの挑戦であった。
・    仕事にこれほどまでに全力投球された小山園長の功績は後世のエネルギーとなってくれること間違いないことである。

*    私の心の今は時間が止まった状態である。取止めもない話になりそうである。落ち着いたときにまとめることとして今日の最後は、「小山園長の音楽才能は別格である。歌のうまさは半端でない。」を記させて頂く。
・    ギターを弾きながら歌われる声は馬鹿デカである。声量は誰にも負けない。
・    特に好きな曲目は井上陽水からはじまる「傘がない」は私も好きな曲である。
・    講演会の前にサービスされる小劇場はそれだけでも凄いショーである。
・    何時の間にやら集まった人達にとっては介護施設が快護施設になっているのである。

*    小山剛園長の声が聞こえそうだ「俺の仕事も命も終わってないよ!」・・・・
・    そして、小山園長の歌う陽水の「人生が二度あれば」を聴いてみたかった。
・    お通夜式には読経が終わってご焼香の長い列が続いた。
・    告別式には先生がいつも愛し歌われていた「レットイットビ」が流れて昇る竜のお供をしていた。まさに”あるがままに!”であった。

*    内村鑑三氏の言葉がやって来る。
「死は犠牲である、同時にまた贖罪である。何人と言えでもおのれ一人の為に生き、またおのれ一人のために死すものはない。人は死して幾分か世の罪を購い、その犠牲となりて神の祭壇の上に献げらるるのである。これじつに感謝すべきことである。死の苦痛は決して無益の苦痛ではない。これによりておのれの罪が洗わるるのみならず、また世の罪が幾分なりとも除かるるのである。
しかして言うまでもなく、死の贖罪力は死者の品性如何によりて増減するのである。義しき者の死は多くの罪を購い、悪しき者の死は自己の罪のほか購うところははなはだわずかである。人は聖くなれば聖くなるだけ、その死を持ってこの世の罪を購うことが出来るのである。或いは家の罪を、あるいは社会の罪を、あるいは国の罪を、あるいは世界の罪を、人は彼の品性如何によりて担いかつ贖うことができるのである。死はじつに人がこの世においてなすをうる最大事業である。」
  
サポートセンター摂田屋      サポートセンター川崎     サポートセンター美沢
  
サポートセンター喜多町エントランスホール     健康の駅しなの     生命の川プロジェクト